スキャンダルで人気を失った芸能人、あるいは詩人の責任について


「私は前述の二つの仮説に固執するつもりである。その一は、たとえ一般的にはゲーテが正しく、詩人には一般人より多くが許されているとしても、詩人も罪と責任の重荷に耐えねばならぬほど重大な過ちを犯しうるということ。そして第二は、かれらの過ちの大きさを明瞭に測る唯一の道はかれらの詩に耳をかたむけるということである」

(ハンナ・アレント『暗い時代の人々』阿部齊訳、ちくま学芸文庫、2005年、338頁)

 

キャンセル・カルチャーがどうのとやかましい時代になった。ただ、芸術と芸術家の関係性が議論になるのは昔からだ。芸術家がある種のスキャンダルを発生させた場合、そのことを理由に、その芸術家の芸術もまた否定されるべきなのか。性的なスキャンダルを引き起こした芸能人について、出演ドラマの再放送がされなくなったり、公開直前の映画が公開中止になったりという現代的な問題もあれば、彫像が打ち倒され、絵画が焼かれるという古典的な問題もある。

 

この問題に対する主張は出尽くした感がある。よく指摘される立場は次の3つである。

1 人間(作者・出演者等)と作品は別物であり、人間に対する評価は、作品に対する評価とは別個に行われるべきである。

2 作品の鑑賞にあたって、人間のスキャンダルが気になるので、純粋に楽しめない。

3 人間と作品は関連しており、作品を肯定することは、人間のスキャンダルを肯定することでもあり、人間が否定されるべきときは、作品も否定されるべきだ。

それぞれの立場について、手垢がついた検討を再び繰り返したい。

 

2の立場は、おそらくは芸術を受け止める人間の能力の問題だ。楽しめない結果、否定するという態度は、否定すべきだから否定している態度ではない。多くの場合、芸能人のスキャンダルはその程度の問題なのだろう。これは個々人の能力の問題であるから、規範にはなりえないし、基準にもなりえない。

 

心の底から3を支持する論者は、もっと規範的だ。全く純粋にスキャンダルのことを知らずに触れた芸術でも感動しうるだろう。しかし、仮に心身は感動を覚えても、スキャンダルを知ってしまった以上、作品も否定されるべきだという考えなのである。とすると、前提として、人間と作品には別個の評価が成り立つ余地がある事自体は認めている。そして、何故か人間の評価が作品の評価とイコールとみなされることになるのである。このあたりが理解困難なところである。これをイコールでつなげるべきかどうかは明らかではない。むしろ違うものは違うものとして扱ったほうが自然なように思われる。

 

私が3を支持できない理由は、3つある。

人間は芸術に触れることによって自然と感動する。それを否定する理由がどこにあるのだろうか。人間を理由に作品を否定することの空々しさをどうしても覚えずにはいられない。これが1つ。

もう1つは、芸術はそれ自体が受け止められる対象であり、一人ひとりの人間とは別の公的な存在であること。言い方を変えれば、作者と作品は、作品が生まれる経緯で関係しているとはいえ、作品が生まれた後は、各々が独立した存在としかいいようがないのである。とすると、人間に対する評価を通じて芸術の評価をしているにすぎなくなる。そのような評価をせざるをえなくなるのは、どちらかというと2の問題であり、個々人の問題として取り上げるべきなのではないか。つまり、規範にはなりえないし、基準にもなりえない。「私が楽しめない」は、「あなたも楽しめない」ではないし、まして「あなたも楽しむべきではない」にはならない。

最後に、作品を肯定しても、人間の全てを肯定することにはならない。問われるべきは、作品と人間という2つの要素ではなく、人間を評価する2つの側面である。すなわち、作者としての人間と、作者であることとは関係なく存在する人間である。物理的には同一人物であるが、人間自体を複数の側面から個別に評価することができるということの意味を考えなければならない。スキャンダルをまとうのは、作者としての人間ではなく、作者であることとは関係なく存在する人間のほうだろう。不倫をしたから、罪を犯したから、作者としてのその人が否定されるものではないのである。それはスキャンダルをまとったその人への非難として現れるのみだ。

 

結局、人間として生み出したスキャンダルは、スキャンダルを生み出した人間の否定として現れるだろう。これによって、作者としての人間は何ら毀損されない。そして、それ故、作品も何ら毀損されないのである。しかし、もしそれでも作者としての人間も否定されるべきだとすれば、それはその作者の作品に自然と感動できなくなったから、作品自体の輝きが失われ、価値が下がったからという点にある。

 

冒頭で引用したとおりである。詩人の罪はその詩によってのみはかられる。


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