キロン
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』加来彰俊訳、岩波文庫、1984年(以下「DL」)上巻65頁以下。
1 経歴
紀元前6世紀の人。スパルタ人。エレゲイア調[1]エレジーの語源になった詩の形式。二行連と特定の韻が基本で、笛の音に合わせて歌う。の詩が得意だった。
スパルタの監督官(エフォロイ)を務め、監督官の職位を王たちに並ぶものにしたともいわれる。(そうしたのはリュクルゴスであるとも。)
第52回オリンピック大会期(紀元前572年ー569年)の頃、高齢であるにもかかわらず、息子がボクシングで勝者になったのを喜びすぎて、死んだ。「祝宴の参加者は、全員深い敬意を込めて彼の葬列に加わったとのことである。」(DL上巻68頁)
彼の像には次のように刻銘された。
このキロンを生みしは、勇武の誉れ高きスパルタ。
この人こそは、七賢人の中にても知恵において第一等の人。
DL上巻69頁
ここでいう七賢人とは紀元前7世紀~6世紀における古代ギリシアの賢人のこと。
2 エピソード
(1)
彼の兄弟が監督官になれないことを嘆いた時の言葉。
「わたしは不正な目にわされても我慢できるが、お前にはそれができないからだ。」
(2)
ペイシストラトスの父のヒッポクラテスがオリンピアで犠牲を捧げていた時、火にかけていない大釜が煮えたぎったので、キロンは彼に結婚しないようにするか、結婚していれば離縁して子どもを手放すように忠告した。
(3)
イソップに「ゼウスは何をされているのか」と聞いたら、「高いものを低め、低いものを高めておられるのだ」との回答を得た。
(4)
法律に違反したことは一度もないと自負していたが、実は迷ったことは一度ある。それは彼の友人に関する裁判で法律に従いつつも、同僚裁判官を説得して無罪にしたとき。それで法律と友人の両方を守ろうとした。
(5)
キロンは「未来のことを推理によって捉えられるかぎり予見するのが男子の徳である」(DL上巻65頁)と考えていた。関連して次のエピソードがある。
キロンは、ラコニアのキュテラ島について、「この島は生じなければよかった。生じたとしても海の底に沈めばよかった。」と言った。後にスパルタから亡命したデマラトスがペルシアのクセルクセスに船団をこの島に碇泊させるよう進言したが、そうしたらギリシアは征服されたと考えられている。また、アテネのニキアスがペロポネソス戦争のときにこの島を占領し、スパルタは大きな損害を被った。
図の赤色で塗ったキュテラ島は、このようにスパルタの近くにあるだけでなく、バルカン半島とクレタ島、エーゲ海と地中海を結ぶ海上交通の要衝でもある。
(6)
キロンは言葉数が少なかった。短い文体の一種を「短言法」というが、ミレトスのアリスタゴラスは「キロン風」と呼んだ。プラキュロギアーとも呼ばれるが、これはプランキダイの神殿の建設者プランコスに由来するともいわれる。
(7)
ペリアンドロスに出した手紙には次のような内容を書いた。「あなたが自ら国外に出陣すると聞いたが、国内のことでさえ独裁者にとっては安全ではない。独裁者にとっては自分の家で自然死することが幸福だ。」
3 語録
(1)(教育された者と無教育の者との違い)「よい望みがあるという点でだ」
(2)(難しいことは何か)「秘密を保つことと閑暇を上手に使うこと、そして不正な目にあっても耐えることができることだ。」
(3)彼の訓戒
・口を慎むこと、宴会の場ではなおさらにそうするように。
・隣人の悪口は言わぬこと。そうでないと、後で苦痛になるようなことを人から言われるだろう。
・誰に対しても脅迫しないこと。それは女々しいやり方だ。
・友人を訪ねるときは、順境な友人よりも逆境の友人を優先しろ。
・結婚式に費用はかけるな。
・死者の悪口は言うな。
・老人を敬え。
・我が身の安全をはかれ。
・恥ずべき利益を得るよりもよりも損失が出ることを選べ。損失の苦痛は一時的だが、恥ずべき利得の苦痛はいつまでも残るから。
・不運な人を笑うな。
・強い者は温和であれ。そうすれば隣人は恐れないで尊敬してくれる。
・自分の家を立派に管理する術を学べ。
・舌が心に先立たないこと(考えてから話せ)
・怒りを抑えろ。
・占いを憎むな。
・不可能なことを望むな。
・道中を急ぐな。
・身振り手振りで話すな。精神異常だと思われる。
・法律に従え。
・静かにしていろ。
(4)保証人になるのは禍のもと。
(5)(評判のよかった彼の詩の意訳)
研磨石の中で黄金は験され
その真価が明らかになる
黄金の中で人の心根は験され
その善悪が明らかになる
4 所感
秘密を保つこと、閑暇を上手に使うこと、不正に耐えること、現代でも法律家として必須の資質であるように思われる。
哲学者というよりも法律家、それも実務的な法律家や政治家の雰囲気を感じる。
理論家と言うよりも実践家、そして口数も少なかったので、後世の哲学者としては注目されていないのではないだろうか。残念なことである。
References
↑1 | エレジーの語源になった詩の形式。二行連と特定の韻が基本で、笛の音に合わせて歌う。 |
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