クレオブゥロス
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』加来彰俊訳、岩波文庫、1984年(以下「DL」)上巻82頁以下。
1 経歴
紀元前6世紀頃の人とのこと[1]DL上巻第6章にはいつ頃の人か書かれていない。。リンドスの人。リンドスはロードス島の都市。ロードス島はアナトリア半島の南西に浮かぶ島である。
アナトリア半島の南西にあるカリアの出身ともいう。またヘラクレスにつながる家系という説もある。体力においても美しさにおいても抜群で、エジプトの哲学を知る教養もあった。
ダナオスが建てた神殿を再建したともされる。
70歳以上で亡くなった。墓碑には次のように刻銘された。
逝きし賢者クレオブゥロス
海を誇りたる祖国リンドスが悼めり
2 エピソード
(1)
クレオブゥリネという娘もいて、謎めいた詩を書くことで知られる。
クレオブゥロスも謎々の詩を残した。
父親は1人、子どもは12人、その子どもはそれぞれ30の2倍の娘を持つ
娘の姿は2とおり、一方は白く、他方は黒い
両者はいずれも不死でいて、みんな滅んでしまう
答えは「一年」である。
(2)
ミダス王の墓に刻銘された次の詩の作者という。
我は青銅の娘にして、ミダスの墓の上に横たわれり
水流れ、高い木々繁り
旭日輝き、月明るく
川流れ、海に波が寄する限り
我は深き悲しみもてこの墓にとどまりて
往来の者に告ぐ「ミダスここに葬られり」
後世のシモニデスはこの詩を批判した。神々(自然)の力と同じように墓石がとどまるはずはないと。シモニデスは「人の手でさえ大理石は粉々にできる。」と言った。
(3)
ソロンに次のような手紙を書いて移住を進めた。[2]ソロンはアテネの僭主ペイシストラトスを嫌って各地を亡命していた。
あなたには多くの友人やあちこちに家がありますが、民主的なリンドスこそ、ソロンにふさわしい場所です。この島は大海にあるので、ペイシストラトスの脅威はなく、友人があちこちからやってこれるでしょうし。
3 語録
(1) クレオブゥロスはたくさんの詩を残したが、中でも次の詩が評判だった。
死すべき者の間にて、幅を利かすは無教養なる饒舌家
ほどほどの加減がうまくいく
高尚さに思いを馳せて、愚昧なる野蛮人となるなかれ
(2)自分の娘は、年齢は少女として、思慮は大人の女として嫁がせるべし。
これは女子の内から少年のように教育せよという含意がある。
(3) 味方には親切にせよ。より親しくなるために。的には親切にせよ。味方とするために。我々は味方の非難も、敵の陰謀も警戒せねばならないから。
(4)人は家を出るときに、何をするつもりか自分に尋ねよ。人は家に帰るときに、何をしたか自分に尋ねよ。
(5)彼の忠告には次のようなものがある。
・体をよく鍛えよ。
・話し上手より聞き上手になれ。
・無学な者より学問上手になれ。
・不吉な言葉は控えよ。
・徳に親しみ、悪を避けよ。
・不正を避けよ。
・国家には最善のことを具申せよ。
・快楽に打ち勝て。
・何をするにせよ暴力を用いるな。
・子を教育せよ。
・敵意を捨てよ。
・他人の前では妻に愛情深くするな。また、争うな。愛情深くすれば無思慮に見え、争えば正気でないと思われる。
・酒を飲んで召使を懲らしめるな。酒の上のことと思われる。
・同程度の家から嫁をもらえ。さもなければ妻の親族が君の主人になる。
・からかわれている者を笑うな。憎しみを買うから。
・幸運なときは傲慢になるな。困難なときは卑屈になるな。
・運命の変化に気高く耐える術を学べ。
4 所感
優しそうな性格の雰囲気がある。子どもに対する、特に女子の教育にも注目していたという点は面白い。一方で、無教養なものに対する嫌悪感も見て取れる。当時としては珍しいものではなかったろうが。