ビアス
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』加来彰俊訳、岩波文庫、1984年(以下「DL」)上巻77頁以下。
1 経歴
紀元前6世紀頃の人とのこと[1]DL上巻第5章にはいつ頃の人か書かれていない。。プリエネの人。プリエネはアナトリア半島にある古代ギリシアの植民都市である。
裕福な家の生まれとも、他人の家の下働きだとも言われる。優秀な弁護を行うことで有名で活躍した。人々はテウタメイオンという聖地を彼に捧げた。
亡くなった時、彼を国家は盛大に弔った。墓碑には次のように刻銘された。
誉れ高きプリエネに生まれ
イオニア人の大いなる飾りとなりし
このビアスをこの墓石は包み隠せり
2 エピソード
(1)
戦争で捕まったメッセニアの娘達の身代金を肩代わりし、自分の娘のように育てた後、持参金を持たせて父親のもとに返したらしい。アテネの海で「賢者へ」と書かれた青銅の鼎が発見された時、この娘たちかその父親が民会で「ビアスこそが賢者です。」と証言したため、鼎はビアスに贈られた。
しかし、ビアスは「アポロンこそが賢者である」と言って受け取らなかった。あるいは自分の一族の故郷であるテバイのヘラクレス神殿に奉納したとも言う。
(2)
アリュアッテスがプリエネと戦争をしていたとき、ビアスはラバを2頭太らせて敵陣に送った。アリュアッテスはこれを見てプリエネが豊かな都市であると驚き、和議を申し入れた。更にビアスは和議の交渉にやってきた使者に穀物の山を見せた。報告を聞いたアリュアッテスは和議にとどまらず平和条約の締結を申し入れた。しかし、実はこの穀物の山は、砂山の上に穀物を薄く振り撒いただけだった。
アリュアッテスはビアスを召し抱えようとしたが、ビアスは「玉ねぎを食べるように伝えろ」と使者に言った。これは要求が通らずに涙を流せという意味である。
(3)
ビアスは訴訟の弁護をするのが得意だった。それも立派な目的で弁論をした。
彼の最期も弁論の時だった。非常に高齢であったが弁論を行い、その後、孫の胸に頭を預けていた。相手の弁論が終わり、ピアスの側が勝訴する判決が出た時、既にピアスは孫の胸の中で息が絶えていた。
(4)
ビアスが船に乗った時、船が嵐にあった。船には日頃は神を信じない人が乗っていたが、このときばかりは神に助けを求めた。それを聞いたビアスは「静かにせよ。君たちが船に乗っているのを神々に気づかれるといけないから。」と言った。
(5)
ビアスが日頃神を信じない人から「敬虔とは何か。」と問われた。ビアスは黙っていた。「どうして黙っているのか。」と更に問われた。ビアスは「君自身が興味を持たないことを聞いているからだ。」と言った。
(6)
イオニアが繁栄する方法について200行の詩を書いた。
(7)
気難しいヘラクレイトスも彼のことを称賛した。
3 語録
(1)力の強さは自然の業、祖国の利益を語るのは魂と思慮だけ。
(2)豊かな財産は偶然によっても備わる。
(3)本当に不幸な人は、不幸に耐えられない人のこと。
(4)不可能なことを求めるのは魂の病気。
(5)他人のアクは覚えておくな。
(6)(何が難しいかと聞かれて)事態がより悪くなるときに気高く耐えること。
(7)(人間にとって甘美なものを問われて)希望
(8)友人たちの間の紛争を裁くより、敵同士の紛争を裁け。友人同士を裁けば誰かが敵になる。敵同士を裁けば誰かが友になる。
(9)(楽しい仕事を問われて)儲かる仕事。
(10)人生は長い場合も短い場合も考えて計画せよ。
(11)人を愛する時はいつか憎むかもしれないと思って愛せ。というのも大抵の人間は劣悪だから[2]「大抵の人間は劣悪」と刻まれた像がバチカンの哲学者の間にある。。
(12)事業はゆっくりと取り掛かり、しっかりと踏みとどまるように。
(13)性急な話し方をするな。気が狂っていると思われる。
(14)思慮を重んじよ。
(15)神々の存在を疑うな。
(16)金持ちだからといって、つまらない人間を称賛するな。
(17)力ではなく説得で手に入れよ。
(18)なにか良いことができたら、神々のおかげとせよ。
(19)成年から老人への旅支度に知恵を準備するように。どんな持ち物よりも確かである。
(20)評判だった彼の詩は次のようなものである。
市民のすべてに好かれるようにせよ
(欠文)
どんな国に住もうとも、それがいちばん感謝されることなのだから。
しかしわがまま勝手な振舞いをしたのでは、しばしばつらい禍いを招くことになる。
(DL上巻79-80頁)
4 所感
機知に富んだエピソードが目立つ。弁論にも大いに活かされたのであろう。法廷で勝訴判決を受けながら死んだというのも何とも羨ましいエピソードではある。