ピッタコス
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』加来彰俊訳、岩波文庫、1984年(以下「DL」)上巻70頁以下。
1 経歴
紀元前7世紀頃の人。ミュティレネの人。ミュティレネはレスボス島の都市。
レスボス島はエーゲ海の東。アナトリア半島の近くにある。
アルカイオスの兄弟達の助力を得て、レスボス島の僭主メランクロスを倒す。
その後、土地を巡るアテネとの戦争では、アテネの指揮官だったプリュノンを一騎打ちで倒した。[1]ピッタコスは盾の後ろに隠した網を使ったとももっとも、この土地はペリアンドロスの裁判によりアテネに有利な結果となった。
ミュティレネの人達の尊敬を集めた。10年間支配者として国を整え、その後支配の座を降りて10年が経過した頃、70歳を超えるミュティレネの人達から贈られた土地の(ほとんど)全てを神に捧げた。兄弟の遺産を受け継いで裕福だったため、クロイソスから贈られたお金も「自分は欲しいだけの額の2倍も持っている。」と言って断った。
彼の墓碑には次のように刻銘された。
ピッタコスの産みの母たる聖なるレスボスは
肉親の涙をもって逝きし息子を嘆く
2 エピソード
(1)
彼の息子のテュライオスは、床屋にいたときに、鍛冶屋に斧で殺された。ピッタコスは犯人の罪を問わずに言った。
「許してやる方が(罰を科して)後悔するよりもよい」
(DL上巻71頁)
この時の犯人はアルカイオスという説もある。
(2)
罪を犯したときに酩酊していた者は、通常の2倍の罰を科す法律を制定した。レスボス島がワインの産地で酩酊者が多かったためだという。
(3)
市民向けの『法律について』という本を書いた。
(4)
外国人から相談を受けた。「結婚の申し入れを2つ受けた。1つは私と同等の家柄から。もう1つは高い家柄から。どちらの娘と結婚すべきか。」
ピッタコスは広場でコマ遊びをしている子どもが教えてくれると答えた。子どもたちは「お前のところにあるのを追いかけろ」と言っていた。
そこで、この外国人は同等の家柄の娘と結婚した。
これはピッタコス自身が高い家柄の娘と結婚し、その妻が非常に横柄だったからだという。
(6)
アルカイオスはピッタコスを「サラプゥス」とか「サラポス」とあだ名した。これは扁平足で足を引きずっていたから。
他のあだ名は「ケイロポデース」(ひび割れた足の人)、ホラ吹き、太鼓腹、暗闇の中で有利食を取る人、無精者。
(7)
繁栄ぶりを見に来るようクロイソスに誘われて、次のような内容の手紙を書いた。「あなたが一番反映していることは見に行かなくても確信している。出かけに行っても何の利益にもなりますまい。私は私のためにも友人のためにも十分なものを持っています。とはいえ、行くには行きますよ。客としてあなたと親しく付き合うために。」
3 語録
(1)優れた人になることは難しい。
(2)神々も必然には抗えない。
(3)官職が人の真価を明らかにする。
(4)(人に対処の一般論を問われて)「今あるものをうまく利用せよ」
(5)(最良の支配について問われて)「多種多様な木材による支配」(*木材は法律の比喩)
(6)(立派な人間を探す人に対して)「探しすぎると見つからない」
(7)(一番ありがたいものについて問われて)「時間」
(8)(不確かなものについて問われて)「未来」
(9)(頼れるものについて問われて)「大地」
(10)(頼れないものについて問われて)「海」
(11)困ったことが起きないように未然に考えるのが分別のある人のすること。困ったことが起きた後にうまく処理するのが勇気のある人のすること。
(12)教訓
・これからの予定を人に告げるな。失敗すると笑われる。
・人の不運を咎めるな。報復が恐ろしい。
・預かったものは返せ。
・友人を、いや敵さえも悪く言うな。
・神を敬え。
・節制を愛せ。
・正直、誠実、経験、器用さ、親切心を養え。
(13)ピッタコスの詩で最も評判だったもの。
弓と矢筒を携えて
悪人目指して進みゆけ
奴の言葉は信じれない
奴の本音は別だから
4 所感
物にこだわらない様子を見せたり、寛容で、清貧なエピソードがある一方で、結婚の話やあだ名、手紙の内容、詩を見ると、多少疑り深く、卑屈な雰囲気も感じる。そうすると寛容や清貧のエピソードも人の目を気にしてのことだったのかもしれない。
References
↑1 | ピッタコスは盾の後ろに隠した網を使ったとも |
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