メダル噛み事件で思い出したとっくり放尿事件について


河村たかし名古屋市長が表敬訪問に訪れたアスリートの金メダルを噛んだ事件を通称「メダル噛み事件」と呼ぶらしい。

噛まれたアスリートには非常に気の毒であるとの思いを持つ一方で、私の脳裏にはある刑法事件が浮かんできた。

それはとっくり放尿事件である。

せっかく思い出したので、ブログに書き残しておく。

なお、私は河村たかし市長に刑法上の器物損壊罪が成立するともしないとも言っていない。(歯型でもついていない限り、しないだろうと思う。)

とっくり放尿事件とは

とっくり放尿事件は明治42年4月16日に大審院で下された判決を指す。

大審院とは現在で言うところの最高裁判所である。

事実関係

事実の詳細は不明であるが、中野兵三郎という被告人が、人見玉吉氏の営業する店で、徳利(お酒を入れる容器)1本とすき焼き鍋1個に放尿して、使い物にならなくしたことで器物損壊の罪で起訴された。

第一審が大津地方裁判所、第二審が大阪控訴院(現在の大阪高裁)なので、関西の事件のようだ。

余談だが、私のうろ覚えの知識では、現在のすき焼き文化が西日本に入ってきたのは大正時代の関東大震災の後という話をきいたことがある。

もしそうだとすれば、この中野某は西日本では珍しいすき焼きが食べられる店に行っていたわけだ。

ごちそうを食べれる社会的地位故に調子に乗ってしまったのか。それとも、ごちそうを食べてテンションが上がってしまったのか。偏見とともに想像が膨らむ。

争点

この事件のポイントは何点かあるが、結論を言えば被告人に重禁錮10月の有罪判決が下っている。

前提として条文を見ておこう。

この事件には明治40年に施行された現行刑法ではなく、明治15年に施行された旧刑法に基づいて処断されているようである。

ちなみに、そうすると事件が起きたのは明治40年よりも前ということになる。

 

旧刑法第421条 人の器物を毀棄したる者は11日以上6月以下の重禁錮に処し又は3円以上30円以下の罰金に処す。

現行刑法第261条(口語化前) 全3条に記載したる以外の物を損壊又は傷害したる者は3年以下の懲役又は500円以下の罰金若しくは科料に処す。

現行刑法第261条(口語化後) 前3条に規定するもののほか、他人の物を損壊し、又は傷害した者は、3年以下の懲役又は30万円以下の罰金若しくは科料に処する。

 

本件のポイントは上で引用した条文の毀棄又は損壊の解釈にある。

とっくりとすき焼き鍋に放尿しただけでは、とっくりもすき焼き鍋も壊れてはいない。器物損壊の罪が物を文字通り壊す罪であるならば、とっくりやすき焼き鍋に放尿する行為は、器物損壊の罪にあたらない。このように判断して良いかが問題になったのである。

大審院のありがたい判決

被告人は次のように主張する。

毀棄又は損壊とあるは孰れも物の一部又は全部を物質的に毀損又は滅盡したる場合を指称し本件の如く仮りに物が其用を作すこと能はざるに至りたるとするも苟も物理上変態を来したるにあらざる以上は断じて犯罪なりとして処罰せらるるの限りにあらずと思料す

言い直すと「毀棄又は損壊にあたるというためには、いずれも物の一部又は全部を物質的に壊さなければならない。仮に本件のように物が駄目になってしまったとしても、物理的には何も変わっていない以上は、断じて犯罪として処罰するようなものではないと考える。」

筋は通っている。

ただ、大審院は次のように述べて、被告人の主張を採用しなかった。

所掲条文に所謂毀棄若しくは損壊とあるは単に物質的に器物其物の形態を変更又は滅盡せしむる場合のみならず事実上若くは感情上其物をして再び本来の目的の用に供すること能はざる状態に至らしめたる場合をも包含せしむるものと解釈するを相当とす可き

言い直すと、「毀棄又は損壊とは物質的な変更だけではなく、事実上又は感情的に本来目的とする用途に使えなくなる状態にしてしまう場合も含むと解釈するべき」ということである。

そして、

が故に本案の如く被告に於て営業上来客の飲食用に供す可き鋤焼鍋及徳利に放尿せし以上被害者に於て再び該品を営業用に供すること能はざるは勿論なるを以て原審が右被告の所為を器物毀棄罪に問擬したりしは相当なり

と判断した。言い換えると、「そうであるため、本件のように被告人が営業でお客さんの飲食用に使うすき焼き鍋と徳利に放尿した以上は、被害者が再びこれらの物を営業用に用いることはできなくなるのは当然だから、原審が被告人の行為を器物損壊罪としたのは相当である。」

なお、上記の引用はいずれも旧字を新字に改めて、濁点をつけ直し、必要に応じて太字にした。

刑法の解釈

このとっくり放尿事件以来、器物損壊罪の損壊は物理的損壊のみならず物の効用を害することも含むという解釈が主流になった。

この解釈が現在でも通説である。

したがって例えば、他人が飼っている動物をわざと逃がすとか、選挙用のポスターにシールを貼る行為なども器物損壊罪にあたりうることになり、実際に処罰されているのである。

その他の雑感

ところで、被告人が実際に放尿したとっくりやすき焼き鍋は証拠物として提出されたのだろうか。

戦前の証拠提出のあり方はよくわからないが、もし提出されたとしたら、弁護人も検察官も裁判官も、その証拠物を調べるのにさぞかし嫌な気持ちがしただろう。

私も放尿された証拠物が出てきたら手にとって調べはするだろうが


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です