白鳥と餅の昔話からみる日本の気候変動――もちの白鳥、豊後国の国名起源、速見郡の餅を的とする説話


餅と白鳥というのは日本の昔話でよく出てくるモチーフのようだ。モチだけに。

 

1 もちの白鳥

みんな大好き「まんが日本昔ばなし」にもちの白鳥という話がある。

簡単にいえば、小作人を農作業で冷酷にこき使っていた長者が、自分の愛娘の婚礼の儀式で、その小作人達に作らせた餅の道を娘に歩かせたところ、娘が踏んだ餅が、白鳥になって飛び立ってしまい、その後、長者の田畑には作物が実らなくなり、長者の家は没落したという話である[1] … Continue reading

ポイントは餅が白鳥になって飛んでいってしまったという点である。

もちの白鳥の話はいつの時代の話かわからないが、餅と白鳥の組み合わせは昔からあるのだろう。

 

2 豊後国の国名起源

餅と白鳥の組み合わせは、風土記にも見られる。現存する5つの風土記の1つである豊後国風土記には、豊後国の国名の起源として次のような説話を掲載している。

豊後国は、元々は豊前国とあわせて豊国(とよのくに)と呼ばれていた。景行天皇が菟名手(うなで)という人物に治めるよう命じ、菟名手が都から下った地である。旅の途中、仲津(おそらく現在の中津市)に泊まった時、暁の空を白鳥が北から飛んできて餅に変わり、さらに里芋になり、冬でも花や葉が盛んに成長した。これは瑞兆ということで、菟名手は景行天皇に報告した。景行天皇は、大層お喜びになり、「白鳥は天の瑞兆であり、里芋は地の瑞兆であるから、お前に治めさせている地を豊国と呼ぶようにしなさい。」と言われた。そこで、この地を豊国というようになった[2]気になるが、白鳥がやってくる前はこの国はなんと呼ばれていたのだろうか。

ここでは先程の話とは逆に、白鳥がやってきて、餅になったと思ったら、次は里芋になっている。餅というのが抽象的な富の隠喩であり、白鳥の飛来は富がもたらされることの隠喩になったのであろう。

 

3 速見郡の餅の話

同じく豊後国風土記には、速見郡(はやみのこおり。現在の大分県速見郡より少し広い範囲。)について、次のような説話がある。

速見郡の田野(この話の舞台は実際には大分県九重町のあたりらしい。)は肥沃な土地であったが、百姓が裕福になって奢ってしまい、餅を作っては的にして弓で射って遊んでいた。そうしていると、餅が白鳥になって南に飛んでいってしまった。その土地の百姓はその年の内に死に絶え、土地は水田に適さない地となった。

非常にショッキングな話である。没落などというレベルではない。絶滅である。古代の方が神罰は激しかったのかもしれない。

このあたりはもちの白鳥の昔話にも通じる雰囲気がある。

 

4 なぜ白鳥なのか

白鳥がいわゆる白い鳥ではなく、渡り鳥のハクチョウだとすると、以下のような想像をする。

現代では、ハクチョウは、冬になると、冬の寒さが厳しいロシアのあたりから、北海道や本州に南下して越冬する。

その頃、日本では秋の収穫の時期が過ぎ、採れた米を餅にして越冬食として保存していたのだろう。

そのような習慣で、ハクチョウの南下と餅の保存とがイメージとして結びつき、餅という生存のための大切な富をハクチョウがもたらしてくれるかのようなモチーフで昔話や説話が作られたのではないか。

 

ちなみに今でこそ九州にハクチョウが飛来することは稀である。たまに何羽か迷い込むことがあるようだが。

しかし、もしかすると風土記の頃は、越冬のために九州まで南下しなければならないくらい寒かった可能性はある。そして、速見郡の説話のように、九州からもさらにハクチョウが南下しなければならないくらい、九州自体も寒気に見舞われたこともあるのだろう。そうするとハクチョウが南に飛び立っていってしまったというのは、地域が厳しい寒気に見舞われ、人々が命を落とした歴史を意味するのかもしれない。

 

そこで、古代の日本の気候を見てみよう。

どうも日本は4~5世紀頃は非常に温暖な時期だったそうである。

景行天皇は実在していたとすればこの時期の天皇らしい。温暖で農作業に適した時期と治世が重なることになる。

ハクチョウが大分にまで南下して、餅や芋に変わったというのは、ハクチョウが大分にまで南下してくるほど寒い時期が、餅や芋といった食べ物が採れる暖かい時期になったという意味ではないだろうか。上記の国名起源の話は、餅や芋の代わりにハクチョウがいなくなったという点がポイントのような気がする。

 

その後、温暖期と寒冷期を交互に挟んで、7世紀から8世紀くらいまでの間は寒冷期だったそうである。

豊後国風土記の成立は8世紀前半なので、もしかすると7世紀から8世紀頃までの寒冷期に速見郡の悲劇は起きたのかもしれない。

というのは、大分からさらに九州をハクチョウが南下するほどの寒い時期がやってきたことを示唆するからだ。

 

素人の想像ではあるが、良い線いっているのではないだろうか。

古代の気候変動が、昔話や説話に影響を与えているかもしれないと思うと、なんだかぐっとリアリティをもって心に迫ってくる気がする。

 

ちなみに、風土記の逸文には球珠郡(くすのこおり。現在の大分県玖珠町)、国埼郡(くにさきのこおり。現在の大分県国東町)にも、餅が鳥になって飛ぶ説話があるとのことである。

山城国風土記の逸文にもあるそうである。

 

5 参考文献

1 中村啓信、飯泉健司、 谷口雅博、大島敏史『風土記を読む』2006年、株式会社おうふう

2 吉野正敏「4~10世紀における気候変動と人間活動」地学雑誌(2009 年 118 巻 6 号 p. 1221-1236)


References

References
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この話の教訓は色々と感じるところがある。単に食べ物を粗末にすると罰が当たるというレベルの話ではない。他人を冷酷無比に搾取の対象とすれば、結果的に全てが没落するという資本主義の末路めいた話にもとどまらない。娘にふませるためという不正義に手を貸した小作人、長者に抵抗し、長者を殺さなかった小作人は、長者の田畑が荒れ果てるとともに、自分達も困窮し、長者と同じように路頭に迷ったに違いない。つまり、不正義を正そうとせず、唯々諾々と従っていること自体に、大きな不利益が生じるということである。

人々は不正義に断固として抵抗すべきである。

2 気になるが、白鳥がやってくる前はこの国はなんと呼ばれていたのだろうか。

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