モクモクれん「光が死んだ夏」1巻の感想・考察 ※ネタバレあり


いやあ、また素晴らしい漫画を教えてもらった

モクモクれん先生の「光が死んだ夏」である

 

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もっとも、この作品の設定はそんなにめずらしいものではない。

なんだかよくわからない怪異と暮らすこと、あくまでも主人公にとってはソフトに日常が侵食されていくこと、そして怪異と主人公にそれとなく恋愛感情が生じていること。

 

私のお気に入りだと、次のようなものがある。

例えばアヅミイノリ「猫のようなナニカ」は、(おそらくクトゥルフ的な)怪異と生活する少年をソフトに描いている。時たま、日常に怪異の脅威がダイレクトに表現されていて、それがある種のギャグになっている。

往年の名作だと、逢空万太「這い寄れニャル子さん」は、日常の侵食に深刻さはないものの、怪異と暮らしながら主人公の側も恋愛感情を持ち始めていく。

また、ひよどり祥子「死人の声をきくがよい」、ソフトに日常が侵食されていく上、今回の作品設定と同様に、主人公と仲の良かった(好意を抱いていた)友人が死に、ある種の怪異となって、主人公を守るという設定だ。もっとも、こちらもギャグ風味が強い。

本作品が匂わせているのは、ボーイズラブの雰囲気だ。ホラーとボーイズラブの雰囲気といえば、最近実写映画化されたヤマシタトモコ「さんかく窓の外側は夜」が挙げられるだろう。ちなみに実写映画はあんまりおもしろくなかった。きちんと原作を読んだからだと思う。映画だけ観るなら面白いのかも。原作は面白い。

なにより、今回の作品と雰囲気が似ていると私が感じるのは、小野不由美「屍鬼」である。登場人物である結城夏野少年が、両親が事実婚という珍しいパートナー関係であることや、都会育ちであるがゆえに、閉鎖的な村社会での生活に馴染めない様子が本作品の主人公と似ている。また、結城夏野に武藤徹がおり、怪異となってしまった武藤徹に結城夏野が精神的に抗うことができなかった展開が、まさに今回のよしきと光の関係性にも徐々に感じられていくのである。

あと、絵柄や雰囲気、異形な怪異とのシリアスな恋愛・友情模様という側面で見れば、江野スミの「たびしカワラん」「亜獣譚」「アフターゴッド」(なおアフターゴッドは江野朱美名義)との類似性を指摘することもできるだろう。

 

「光が死んだ夏」のユニークな点はなんだろうか。

本作品の主人公よしき少年は、おそらく生前の光少年に対して、恋愛感情ないしは強い好意を抱いていた。そのように匂わせる描写は1巻にもあるし、現在無料公開中の話(令和4年10月発売予定の2巻にも収録されるだろう。)にも描写されている。

この感情は、ステレオタイプに描かれた村社会の中では、「病気」として扱われている。それが核心的な理由であろうが、主人公は村に馴染めていない様子も描かれる。

そのような中、主人公が孤独に陥らずに済んでいたのは、おそらく同様の感情を抱いていた光少年のおかげである。しかし、彼が死んでしまい、光少年の記憶も外見も乗っ取った怪異が取って代わってしまう。

ここからが特殊な要素であるが、同性愛感情に対する偏見や感情的な抵抗、ポリコレ的な読者の思惑なぞ踏み越えて、明確に本来付き合ってはいけない危険極まりないナニカ(怪異たる光)が描写されていく。現在の社会においては、同性愛あるいはBL設定(BL設定と同性愛とは本来別個の文脈で語られるべきである。)は禁忌ではない。少なくとも禁忌であってはならない。それは因習陋習、昔ながらの偏見から守らなければならない個人の自由として語られるべきものである。しかし、本作品のナニカは、今のところ、あからさまに危険である。

読者の視点を踏まえつつ、禁忌たる存在と一般少年との関係性がいかにして成立していくのかが見どころである。

その見どころに華を添えるのが、死者である本物の光である。彼がなんとまぁ三角関係の当て馬かのように、度々度々回想で登場する。本物の光との思い出が抵抗しながらも、怪異である偽の光との関係性を維持していく様は、見ていて苦しくなる。ちなみに、怪異と戦う霊能力者かなんだか分からないが、そういう登場人物も出てくる伏線がはられている。こうした三角関係がいくつも構成されながら、最終的にはライバルたちの頑強な抵抗に負けず、怪異そのものと主人公との新たな関係性が気づかれていくのであろう。

これはもはや巷で騒がれているようなBLではない。怪異とのLOVEである。

怪異とのLOVEが描かれることによって、私たち読者は、恋愛がどこまで許容されているのかギリギリのところを突きつけられる。そして、私達自身の度量のようなものが試されている。あるいは、私達自身の狭量さが否応なく指摘されている、そういう緊迫した空気を味わされることになる。その意味では、この作品は挑戦的な作品である。

 


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