及川智早『日本神話はいかに描かれてきたかーー近代国家が求めたイメージ』


日本神話は様々なイラストで描かれてきた。その描かれ方から当時の日本の雰囲気が分かる。

日本神話と天皇制の関係

国会で「日本の国、まさに天皇を中心とした神の国であるぞ」とのたまった元首相がいた。戦前の話ではない。平成の話である。この元首相はラグビーワールドカップの盛り上がりに気をよくしているだろう。国民主権の政教分離国家たるべき我が国の首相より、ラグビーワールドカップの仕事をしていてくれたほうが幾分マシということははっきりしており、適材適所という言葉の重要性がよくわかる。

この神の国発言は、戦前・戦中は当たり前だった。小学校では古事記・日本書紀が教えられ、「天皇陛下は天照大神をご先祖様に持つ現人神」という常識がすり込まれていたのである。

体制側は「日本神話をルーツにもつ天皇制には神話的正統性がある。」という主張でいる。万世一系である。

天皇制の正統性が日本神話の正統性によるわけである。もっといえば、日本神話がかっこわるくて、なじみにくいものだと、天皇制の正統性が理解しにくい。

天皇制の命運は日本神話の描かれ方に左右される面もある、ということになる。

及川智早『日本神話はいかに描かれてきたかーー近代国家が求めたイメージ』はそういう話として読んだ。

日本神話の描かれ方

そこで例えば、神道式の結婚式を流行らせて、古事記や日本書紀の記載を信じる神道を暮らしに浸透させる。まずはなじみやすい。生活に自然ととけこませる。ただ難しい祝詞とか、神主さんの儀式だけだと今一神様のイメージがわかない。キリスト教式の結婚式では十字架があり、聖書があり、指輪があり、とシンボルチックなものが沢山でてくるが、神道の場合は「イザナミ・イザナギ」の絵だったりしたというのである。

 

作られた神武天皇像というのもある。神武天皇は初代天皇でありそのお爺さんはなんと天照大神に言われて地上に降り立った天孫という超VIPだ。天皇制にとっても神武天皇に正統性がなければ、神武天皇の系統に属する後の天皇の正統性も怪しくなる。別の正統性をもってこざるをえないが、そうもいかない。

そこで、神武天皇はイメージ的には格好良く描かれなければならないわけである。その格好良さが「みずら」(あの古墳時代の人のダンベルが耳の横についているような髪型)だったというのである。

神武天皇が天皇に即位するまでに現地民と沢山戦ってきているとされ(神武東征)、その戦いを描いた図も沢山ある。過去には天皇の軍隊と現地民の軍隊とは同じような長髪で描かれていたのが、段々天皇の軍隊はみずらで、現地民の軍隊は長髪のままで描かれ、暗に「文明」と「野蛮」というイメージを作り出しているというのである。なるほどなあと思う。

このような格好良さのイメージが、神武天皇グッズを生み出す。神武天皇グッズとして一番有名なのは金鵄勲章(きんしくんしょう)だろう。金鵄とは「金色のトンビ」のことで、神武天皇の重要な戦いに勝利をもたらした聖なる鳥である。旧日本軍で軍功を挙げた兵士や戦死した兵士に与えられ、戦意高揚に役立った。「金鵄輝く日本の 栄えある光見に受けて」という歌もある。

 

結局、日本神話は天皇制のために、そして天皇制を隠れ蓑にして行われた「天皇の名による戦争」を正当化するためにも、大いに利用されたのである。

ひるがえって現在

神道の歴史は古い。しかし、古いままの神道がそのまま残っているわけではない。むしろ近代、明治維新後に作られたイメージも沢山ある。それが暴かれているのがこの本だ。

他方でそれによって神道の聖なる雰囲気も毀損されることも間違いないわけだ。

暴き立てられた先に神道が力を失っていくことが良いのか悪いのか。それともまた別の神道が生まれていくことになるのか。そのような想像をするのも楽しい。


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