【ネタバレ注意】「おおかみのおなかのなかで」考察 福祉国家の投影


ちょっと前に関西弁に翻訳した絵本「どこいったん」「ちがうねん」「みつけてん」の帽子3部作が人気を博したジョンクラッセン。

最近、「おおかみのおなかのなかで」という作品を新しく読んだ。原作はマック・バーネット。ネタバレがあるので注意して欲しい。もっとも、ネタバレがあったとしても、絵柄もかわいいし、台詞もコミカルだし、ストーリーもシュール極まりないので、分かった上で読んでも面白い作品ではある。

あらすじ

物語はネズミがオオカミに食べられるところから始まる。ネズミは嘆き悲しむが、オオカミのお腹の中でアヒルに出会う。アヒルはネズミにオオカミのお腹の中も以外と快適であることを体験させ、ネズミとアヒルは一緒に暮らすことにする。その後、ネズミとアヒルのせいでお腹の調子を悪くしたオオカミを狩人が襲う。しかし家を守るべく、ネズミとアヒルは狩人を撃退し、再びオオカミのお腹の中で楽しく暮らすが、オオカミは(調子が悪くて)遠吠えを続けるのであった。

福祉国家

これを作者がどのような気持ちで書いたかは知らない。しかし、私には福祉国家の寓話に見えた。

強制的な国民化

国民国家は人々を強制的に国民にしてしまう。望もうと望みまいと、国家はある範疇の人間を国民として扱うのである。これはまさにオオカミが獲物を食らうかのような話である。ホッブズは自然状態では「人は人に対してオオカミになる」と評したが、人がその野獣性(暴力性)を国家に独占させたとき、オオカミは国家であり、国家のみがオオカミとなろう。

国家による自由保障

しかし、国家が国民なしにはなりたたないのもまた事実だ。だから国家は国民に対してある程度の生活を保障する策にでる。生かさず殺さずという状況である。オオカミのお腹の中でも生きてはいけるのである。

その保障の度合いはどんどん強くなっていく。まずは、国家の権力を弱めて「自由を奪ってはならない」という意味での消極的自由を保障する。オオカミはお腹が痛くなってくるはずだ。そして「自由になる選択肢を与えなければならない」という積極的自由をも保障するにいたる。オオカミはますます多くを負担しなければならないのである。

強くなる国家、総力戦体制

そして国家は弱くなっていくかといえばそうでもない。むしろ国家は強くなるのだ。今まで国家の一部分のみが動員される戦いに、国民全体が様々な形態で動員される国家総力戦が展開できるからだ。オオカミ単体では太刀打ちできなかった狩人に、ネズミとアヒルが果敢に立ち向かい、最終的には撃退するように。

司馬遼太郎であれば坂の上の雲で、「近代国家が人々に権利を保障した。だから人々は時に自らの生命を賭してでも国家に尽くさなければならなくなった」などと語っていたと思う。

与える国家への忠誠と愛国心

そしてネズミとアヒルが進んでオオカミの腹の中に戻っていったときの心境はまさに「愛国心」と呼ばれるものになるのだろう。

絵本紹介


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