本日、天皇皇后両陛下のご臨席の下、戦後76年目の全国戦没者追悼式が挙行された。
天皇陛下は即位後3回目となるおことばを賜われた。
ちなみにこれまでの記事はこちら。
今年のおことば
まずは引用。
本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来76年,人々のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが,多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき,誠に感慨深いものがあります。
私たちは今,新型コロナウイルス感染症の厳しい感染状況による新たな試練に直面していますが,私たち皆がなお一層心を一つにし,力を合わせてこの困難を乗り越え,今後とも,人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います。
ここに,戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ,過去を顧み,深い反省の上に立って,再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,全国民と共に,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
出典 宮内庁HP 主な式典におけるおことば(令和3年) 令和3年8月15日閲覧
昨年のおとことばとの比較
昨年のおことば
令和2年のおことばは以下の内容だった。
本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来75年,人々のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが,多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき,誠に感慨深いものがあります。
私たちは今,新型コロナウイルス感染症の感染拡大により,新たな苦難に直面していますが,私たち皆が手を共に携えて,この困難な状況を乗り越え,今後とも,人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います。
ここに,戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ,過去を顧み,深い反省の上に立って,再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,全国民と共に,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
出典 宮内庁HP 主な式典におけるおことば(令和2年) 令和2年8月20日閲覧
変更箇所
さて、変更箇所を明確化してみよう。令和元年のおことばが今年は次のように書き直されている。(太字が変更箇所)
本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来
75年76年,人々のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが,多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき,誠に感慨深いものがあります。私たちは今,新型コロナウイルス感染症の感染拡大
により,新たな苦難にによる新たな試練に直面していますが,私たち皆が手を共に携えて,なお一層心を一つにし,この困難な状況力を合わせてこの困難を乗り越え,今後とも,人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います。私たちは今,新型コロナウイルス感染症の厳しい感染状況直面していますが,私たち皆が今後とも,人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います。
ここに,戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ,過去を顧み,深い反省の上に立って,再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,全国民と共に,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
「76年」
ここは単に年数の問題。
コロナへの言及
昨年に引き続き、コロナに言及している。やはり異例である。
全国戦没者追悼式は改めて説明するまでもないが、第二次世界大戦で戦死した旧日本軍軍人・軍属約230万人、及び、空襲や原子爆弾投下等で死亡した一般市民約80万人の日本人戦没者合計310万人に向けた追悼の式典である。
コロナに触れるのはややもすれば場違いな感じが否めない。
例えば東日本大震災が発生した平成23年の全国戦没者追悼式での現上皇陛下のおことばでも、震災には触れられていなかった。
もっとも、東日本大震災のときは「東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば(平成23年3月16日)」があったので、全国戦没者追悼式で触れる必要がなかったともいえる。
ちなみに、平成24年の全国戦没者追悼式でも震災には触れていない。
ただ、これも国立劇場で東日本大震災1周年追悼式平成24年3月11日(日)でおことばがあったので、やはり全国戦没者追悼式では触れる必要がなかったのだろう。
そもそも、コロナ禍に関して今上天皇陛下が特に正式に言及しないことに若干の違和感はある。
確かに、五輪への懸念ではないかと取りざたされた宮内庁長官の拝察発言や、五輪開会式の”celebrating”を「祝い」ではなく「記念する」に訳しかえるなど、滲み出る事実はある。
ただ、コロナ禍に特化したおことばが出ても良さそうなものだが、とも思う。
「による新たな試練に」
昨年は「苦難」だったが「試練」に変わった。
苦難だと耐える以外にどうしようもないニュアンスがあるが、試練だと「試されている」という意味が込められていて、積極的に立ち向かう対象というニュアンスが込められているように感じる。
「なお一層心を一つにし,」「力を合わせてこの困難」
昨年は「手を携えて」という表現だったが、今年は心の持ちように焦点を当てた発言になっているようだ。
なお一層という表現に、これまでも努力しているだろうが、まだ足りていないというニュアンスも込もっている。
五輪をやり、路上飲みが流行り、好き勝手に帰省している現状に思うところがあるのだろうか。
「力を合わせて」という表現も同様の呼びかけだろう。
昔でいえば「こいねがわくは、努力せよ!」といったところか。
コロナの箇所以外は実質的な変更がないこと
通常の全国戦没者追悼式でのおことばの箇所の変更は年数以外にない。
コロナへの言及箇所にのみ手を入れている点に、コロナ禍への思いが強いことが伺える。
まとめ
昨年に引き続きコロナへの言及という異例さはあったものの、概ね前年踏襲のおことばだった。