天皇陛下在位30年記念式典について雑考 元号・おことば・象徴天皇制


平成ものこすところ約2か月。

昨日、東京の国立劇場にて、天皇陛下在位30年記念式典が挙行された。

テレビでぼんやりと見ていたので雑考を記す。

 

元号のこと

平成も30年を過ぎて、感慨も深いものがある。また、平成が過ぎ、新しい時代になった後、昭和がどのような扱いになるのかも気にかかる。昭和に思いをはせるとき、昭和天皇の姿が良かれ悪しかれ頭に浮かぶように、平成に思いをはせるとき、あるいは平成を語るときに、大なり小なり今上天皇のことを思い出すのだろう。元号制とはかくも強い影響力を生む。まさに時を支配する装置である。元号を天皇の諡(おくりな)にするようになってからは、時と天皇の結びつきはますます強められたように思われる。

 

おことば のこと

天皇陛下のおことばも述べられた。公式の場では最後の長文でのお気持ち表明だそうだ。

天皇は国政に関する権能を有しない(憲法4条1項)はずだが、天皇陛下の発言は極めて政治的に聞こえた。

[1]全文はこちら。宮内庁HPにて本日閲覧。http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/42#152

 

まず祝意に対する感謝のお言葉。ここは普通。誰でもお祝いされればお礼くらい言うだろう。大事なのはその次だ。

平成の30年間,日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ,近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちました

「平和を希求」とは「平和を強く願い、また、求める」という意味合いを持つ。これは憲法9条1項に使われている表現で、裏を返すと憲法9条1項以外で使われることは珍しい。この条文日本国憲法が打ち立てる三大原則の一つ、平和主義(戦争放棄)に関する条文だ。それゆえ、天皇陛下の発言には、平和主義をにおわせる表現がいきなり使われたことになる。

その後、新たな社会問題について触れられたが、また次のように述べられている。

グローバル化する世界の中で,更に外に向かって開かれ,その中で叡智えいちを持って自らの立場を確立し,誠意を持って他国との関係を構築していくことが求められているのではないかと思います。

「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」という憲法前文が規定する国際協調主義の表れのようである。

ちなみに「誠意」とは「誠実な意思」のことであり、「誠実」とはこれまた憲法9条1項に使われている表現である。

ここまでで、概要、「平成の日本は平和な時代だった。だが、これからはさらに誠実に他国と付き合っていかねばならないと思う。」という趣旨になる。深読みしすぎかもしれないが、平成の日本は平和だったけど、別に「誠実」だったわけじゃやないよ、と暗に表現されているように感じた。

 

さらに深読みする。

憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く,これから先,私を継いでいく人たちが,次の時代,更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め,先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています。

これは直接は皇族に向けられたメッセージでもある。「私を継いでいく人たち」とは皇太子殿下や秋篠宮である。重要なキーワードは「この時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています。」という表現である。

何かを「補う」とは、何かを変更することではない。何かに足りない部分に足すという意味合いだ。例えば、リレーの補欠選手は、ある選手がケガなどで走れなくなったときに、その選手がいなくなって足りなくなった区間を代わりに走ることで、穴を埋める役目のことだ。決してリレーやリレー選手という枠組みや本質自体に変更は加えない。

したがって、天皇陛下の願いとは、現在の天皇の象徴像に変更を加えることなく、足りなかった部分を足して欲しいという願いなのである。

では天皇の象徴像とは何か?

天皇として即位して以来今日こんにちまで,日々国の安寧と人々の幸せを祈り,象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました。

基本的立ち位置としての「国の安寧と人々の幸せを祈る」存在であるということである。国の安寧と人々の幸せとは、その大前提の平和である。だからまず平和について述べ、その平和を体現する存在として天皇があり、その枠組みが今後も続くことが望ましい。陛下のお考えとして、象徴天皇制と平和主義は切り離すことができない概念なのである。

このあと、災害にも耐え抜き、寄り添ってきた国民に対する評価が述べられている。陛下はこれを「民度」と表現している。この民度であったからこそ、天皇として活動してこられたという考えである。災害とは戦争が無かった平成において、戦争と並ぶ脅威として位置づけられるべきだろう。その中でも民度が保てた。つまり、平和な日本を達成するには十分な民度が日本人にはあるという評価である。

それに加えて、諸外国からの災害支援への感謝も述べられているが、これは日本と諸外国との協調が実現できるという希望の表れだと読める。

 

極めつけは皇后陛下が詠まれた歌を引用しながらの平成の始まりの頃の記憶である。

(昭和天皇の喪の中でも)全国各地より寄せられた「私たちも皇室と共に平和な日本をつくっていく」という静かな中にも決意に満ちた言葉を,私どもは今も大切に心にとどめています。

ここには、象徴天皇制と平和主義という2つの概念に加え、「国民」がいる。国民の決意を自らの決意としているのである。

まさに天皇陛下は、天皇、国民、平和の3要素を統合して把握されている。

天皇は国民統合の象徴であり、天皇は平和と切っては切れない存在だから、国民もまた平和と切り離せないのである。

 

このおことばを全体的に見たとき、天皇陛下の強い強い平和への願望が、静かな言葉で、しかし、はっきりとあふれ出ている。

 

象徴天皇制の今後

天皇陛下の平和に対する思いは、万民皆等しく賛同すべき崇高な理念だと思う。

しかし、である。このような重責を一人の人間に負わせても良いものなのだろうかというのが、私の正直な感想である。

日本国憲法の3大原則は、国民主権、平和主義だけではない。基本的人権の尊重という重要な理念がある。人権は人が人であるが故に認められる権利である。そして天皇だって人間だ。人権が認められなくてはならない。

今上陛下は天皇になることを進んで受入れたのかもしれない。皇太子として生まれたことに感謝をしたり、運命的なものを感じたかもしれない。だから、今上陛下が人権を侵害されているというつもりはない。それは皇太子殿下についてもそうだ。

だが、基本的人権の尊重とは、結果オーライの話ではないのだ。選択肢が常に与えられていなければならない。天皇を退位するかしないか、天皇に即位するかしないか、誰と結婚するかしないか、何を食べるか食べないか、どこに住むか住まないか、何を話すか話さないか、これらの選択肢が開かれていなければならない。つまり、自由でなくてはならない。

日本国憲法は職業選択の自由、婚姻の自由、居住の自由、表現の自由いずれも保障している。天皇、皇族以外には。天皇陛下のおことばに「基本的人権の尊重」に触れているような箇所はない。これに触れれば、象徴天皇制の存続に関わる可能性を認識しておられるのかもしれない。

それでもなお、象徴天皇制をこのまま続けていくということが、人権侵害の危険性を生み出すというのであれば、まさに象徴天皇制に欠けている部分、今後補わなければならない部分なのかもしれない。

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References

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1 全文はこちら。宮内庁HPにて本日閲覧。http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/42#152

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