弁護士業をしていると、たまに法学部生とお話する機会がある。最近の法学部生は公務員志望がとても多い印象を持つが、そんな中でも司法試験の合格を目指している学部生にお会いすることもある。
そのような学部生から必ずといって良いほど受ける質問が「どうやったら司法試験に受かりますか?」だ。
今まで十数人には話してきたであろう私の考えを書いておこうと思う。というのも、十数人のうち幾人かは「教えてもらったことを気をつけていました。」と合格の報告をしてくれたから、私の考えがまんざら役に立たないというわけでもないだろうし、私の基準で「これは受からんな。」と思った人は、やはり今でも受かっていないからである。
もちろん、合格は本人の能力と努力の賜物であり、私のお陰で受かったなどと言うつもりはさらさらない。司法試験受験生にとって何かの参考になれば嬉しいくらいのものである。
私の回答はいたってシンプルである。シンプルであるが故に難しいこともある。当然だと頭では分かっていても、実は出来ていないことがあるのではないかと自問してほしい。
やらねばならないこと
これをしないで司法試験に受かることは絶対に不可能というものである。
各法の内容が書かれた網羅的なテキストを読むこと
一般に「教科書」とか「基本書」とか呼ばれる本を1冊読むのが当然望ましい。教科書がどうしても読めない人は百歩譲って予備校のテキストでも良い。大事な事は網羅的なテキストであることだ。
網羅的というのは程度問題ではあるが、分からないことを調べようと思えば、解答の糸口ぐらいは書いているという程度の網羅性である。評価の高い教科書は大抵、その程度の網羅性は備えている。予備校のテキストもそうだ。
反対に、例えば判例集(百選や調査官解説など)は網羅性がない。当然、判例集も読んだ方が良いのだが、それは基本書ではないのだ。判例集は補充的なものである。網羅的なテキストを読む際に、ついでに読む資料集的な扱いでよい。
司法試験では知識の引き出しがものを言う。知らないことでも、知っている知識を活用しながら解答するしかない。知らないことを減らすことが第一だ。受験勉強の時間は限られている。どうしても広く浅く勉強していくことを基本方針にせざるをえないのである。
未だに合格できていない私の知り合いは判例集ばかり読んでいた。彼は特定の論点に対する知識は並外れていたが、知らない問題に太刀打ちすることが出来なかった。
また、同じく未だに合格できていない別の知り合いは、刑法は一生懸命に勉強していて、その知識は体系的だが、どうしても民事訴訟法の勉強に力をいれようとせず、腰を据えて広く浅い知識を収集しようとしないのである。それがためか彼は未だに合格できていない。
なお、網羅的である点では条文解説(条解・コンメンタール)があるが、これを読み通すのは現実的ではないだろう。
各法の条文を読むこと
司法試験では条文の引用が必須である。だが、知らない条文は引用できないのである。
「この条文どっかでみたな。」「ここらに書いてあるはず・・・。」とあたりをつけられるようにすることが第一である。条文を探す手間で試験時間の大半を浪費した不合格者を私は知っている。また、条文を知らなかったばっかりに、ある法的効果を導き出すのに条文を引用できず、長々と持論を展開して不合格になった者も私は知っている。彼は立法家としての才はあるのかもしれないが、やはり司法試験では致命的な弱点だったといわざるをえない。
そのために国語辞書を「あ」の項から読むがごとく、法文を素読することは有効ではある。しかし、飽きる。上記の網羅的なテキストを読む際に、大体条文が引用されているだろうから、引用されているのを見れば読むくらいでよいのではないか。
この時、おすすめの方法は読んだ条文には蛍光ペンで線を引くことである。基本書を読み終えたときに線が引かれていない条文を改めて読めるようにしておくためである。
判例だろうと基本書だろうと、問題集だろうと、司法試験だろうと、実務法学の全ての出発点は条文である。条文を読まない者に合格はあり得ない。
演習も広く浅く行うこと
司法試験は紙に論文を書く試験が中心だ。知識を文章にする能力も合格に必須の能力といっていい。だから文章を書く練習をすることが極めて重要だ。そのためには演習を行う必要がある。知識のインプットだけでは到底合格できない。
問題集を解かない者で合格したという者を聞いたことがない。1人だけ問題集を読むだけで一切紙に書かなかったが合格したという者を知っている。しかし、これも頭の中では解いていたのであるから、やはり問題集は大切だろう。
問題集にもピンからキリまである。司法試験の過去問が一番良いが、答えが無いのがきつい。予備校の問題集も悪くはない。法学教室の問題もいいだろう。市販の問題集でも良い。ケースブックも悪くない。大事な事は演習も広く浅く行うことだ。
「あ! この問題は見たことあるぞ!」という知識が多ければ多いほど、書く労力も格段に低減されるからである。
やったほうがいいこと
やらなければ落ちるというわけではないが、やったほうが受かりやすくなると思うこと。
やまかけ(ただし「試験に出ない論点」の予想)
いきなりこれかよという批判もあろうが結構大事なことではある。「ここが出そうだ!」という予想はかなり難しいが、「ここは出ないだろう」という予想はすべきだろうと思う。
例えば、最近の過去問で出た論点がもう一度出ることは希だろう。また改正法の影響が生じる分野も論文試験では出る確率は低いのでは無いだろうか(ここは確証がもてない。)。
そういった論文試験で出そうにない論点は「出るとしても短答試験ででるだろう。」ぐらいでよい。その方が勉強が効率的になる。またその予想が試験直前の総復習のときに思った以上に役立つ。明日試験というときに復習しなくても良い分野があるというのは多少なりとも精神にゆとりを生じさせるからだ。
少し騒がしい場所で勉強すること
司法試験の会場は様々な修羅がいる。一番は貧乏揺すりだ。かくいう私も本番のとき隣の受験生は貧乏揺すりが激しかった。しかし貧乏揺すりごときで動揺してはならない。体臭がきつい人、明らかに精神をやんでいる人、色々な人がいるが、そういう環境で集中できる力を鍛えるべきだ。
図書館の雑談スペースで問題を解くなどすると自然と鍛えられる。
適度に欲を満たすこと
睡眠欲、食欲、性欲を我慢するというのは、まあ悪くは無いのだろうが、別におすすめもしない。おそらくストレスがたまるのでは無いかと思う。我慢して受かるというものでもない。健康と勉強のための時間を失わない程度であれば、欲を満たした方が良い。
(幸いにも?)私には無かったが、法科大学院では色恋沙汰のトラブルをよく耳にした。人生経験にはなるだろうが、司法試験の合格において有害であることは疑い得ない。暴飲暴食、睡眠不足もそうである。
やってはいけないこと
これをすると必ず落ちるのではないかと私が考えていること。
不毛な議論に終始すること
私が最もやってはいけないと思っている勉強法が自主ゼミを組んでの「不毛な議論」である。法律を勉強すればナントカ説だのカントカ説だのが沢山出てくる。通説だの、この判例には批判もあるだのといった議論は不要である。むしろ有害でさえある。議論ではなく情報交換であれば良い。結論は一人一人が自分で考えればよいのだ。
司法試験の勉強の華は自主ゼミだろう。自主ゼミを組んで勉強した仲間は戦友のようなものである。その自主ゼミは司法試験合格のために行われるもので、主に「知らない知識を仕入れる」「自分の文章力を客観的に見て貰う」という2点を目的に行われるべきだ。
他方で上記のような不毛な議論を30分も1時間もやってはならない。特に議論の相手が自説を絶対に曲げないというようなケースではそれにひきずられてはならない。ひきずられているとすれば、それはあなたも自説を曲げようとしない同類である。人は鏡である。「そんな意見もあるのね。」くらいで流せば良い。
不毛な議論は精神を摩耗させる。「なぜあいつはわかってくれないんだ」というストレスに支配される。それは他の勉強時間に影響をあたえ効率を阻害するだろう。そういう人間は議論の相手としては楽しいだろうが、自主ゼミを組むことは勧められない。
不毛な議論によって落ちるというのは言い過ぎかもしれない。不毛な議論をする人は知識の吸収が非効率で、それ故、やらなければならなことができずに落ちるというのが正確かもしれない。ま、不毛な議論をしていないかどうかを自省するメルクマールになると良い。
やらないほうがいいこと
やったら必ず落ちるわけでは無いがやらないほうが良いこと。
徹夜
たまにならいい。試験期間前など徹夜しないとやってられないこともあろう。課題も出るわけだし。ただ、徹夜が日常的であれば落ちやすくなると思う。
絶食
食う時間も惜しいという人がいる。不健康である。健康でなければパフォーマンスは発揮できない。早食いでもなんでもいいから栄養は最低限とるべきだ。