なぜ弁護士はBなのか?


「AQでPがガンガン異議出してきてさ。」

「へぇ。その事件、Jは誰?。」

こんな発言が聞こえてくれば、会話の主は十中八九、法律業界の人々である。

「AQ」とか「P」とかはいわゆる略称で、どこにでもある業界用語の1つである。

主な略語

A・・・被疑者・被告人を指す。由来は英語の”accused”というのが通説である。

J・・・裁判官を指す。由来は英語の”judge”というのが通説である。

P・・・検察官を指す。由来は英語の”prosecutor”というのが通説である。

V・・・被害者を指す。由来は英語の”victim”というのが通説である。

ここまでくれば、弁護士を指す略称は当然 ”L” と考えるのが自然であろう。なぜなら弁護士は英語で”lawyer”だからである。

しかし、何故か当業界では弁護士を指す略称は “B” なのである。ここから弁護士の略称がなぜ”B”なのかという論争が生じることになる。

通説ーーローマ説

現在の通説は弁護士のローマ字表記であるところの”bengoshi”の頭文字であるとする説である。これをローマ説という。余談であるが、「ローマ説」という呼称がラテン語又はイタリア語を由来とするのではないかとの誤解を招くため、「ローマ字表記説」あるいは「日本語説」と呼ぶべきとの指摘が反対論者から出されているが、一般的なものとはなっていない。本稿でもローマ説という呼称を採用する。

しかし、当然、他の略称が英語から採用しているにもかかわらず、弁護士だけがローマ字表記(要は日本語である。)からの採用というのは整合的ではないという反対意見は根強い。ある論者は

弁護士だけローマ字表記というのは実に弁護士の田舎臭さを示すものであって蔑称に等しい。

などと述べている。この論者に対し「ローマ字表記が蔑称とは何事か。」という怒りの再反論や、「全く田舎臭くない。ローマ字というのはラテン語に由来する由緒正しき表記法である。」といった言語論争が巻き起こった。現在より見れば不毛な議論と評価せざるをえない。

もっとも、確かになぜローマ字表記なのかという点を解消せずして、ローマ説を無批判に受容することは思考の放棄であろう。

有力説ーーバリスタ説

ローマ説に対する有力な反対説はイギリス英語の”barrister”(バリスタ)の頭文字であるとする説である。これをバリスタ説という。

説明を補足すると、イギリスでは法廷で弁論をする弁護士と法廷における弁論を除く法律事務を担う弁護士とで分業が図られている。前者を法廷弁護士(バリスタ)と呼び、後者を事務弁護士(”solicitor”、ソリスタ)と呼ぶ。

バリスタ説はイギリス英語を由来とする説ではあるものの、他の略称が英語由来であることと整合的であるため、有力に主張されている。

しかし、バリスタ説に対しても主にローマ説から批判的な意見が出されている。

有力説への批判1ーーソリスタ要素の無視

もっともクリティカルな批判として挙げられるのは、日本の弁護士は単なるバリスタではなく、ソリスタの業務も行っているにもかかわらず、なぜバリスタのみを由来とするのかという指摘である。これについては弁護士業務の中心はやはり法廷弁論にあるのだという再反論がなされることもある。しかし、略称が多用される刑事弁護をみれば、接見、被害弁償、書類の作成といったソリスタ的業務の量は無視できないほど大きい。

そうすると、バリスタという表現は日本の弁護士(又は弁護人)の呼称として適切ではないとさえいえる。これを評して、あるローマ説論者は

”B”から始まる英単語は”Banana”や”Boy”や”Barrister”があるが、いずれも本邦の弁護士を含意しない。バリスタ論者はローマ字を使いたくないという薄っぺらい「自尊心」を守るために”Barrister”にすがっているのだが、これは滑稽といわざるをえない。

と酷評している。

有力説への批判2ーーなぜイギリス英語なのか

我が国で英語といえば、英語教育の成果もあって、いわゆるアメリカ英語を指す。少なくともイギリス英語ではない。とすれば、なぜ弁護士の略称のみイギリス英語を由来とするのかという批判は傾聴に値するといえる。ローマ説論者からすればローマ字が不自然なのと同じくらいイギリス英語の採用も不自然という意見である。

そして、あるローマ説論者はそもそもイギリス英語が我が国の法曹界で利用する略称の由来として不適切であるとさえ言い切る。というのも、イギリス法制度は日本の法制度と大きく異なるのである。例えば裁判官1つとっても、日本であれば最高裁長官であろうと新任判事補であろうと事件においては「裁判官」である。他方で、イギリス法制度では2000年代の改革以前は貴族院や枢密院(正式名称は「女王陛下の最も高潔な枢密院」)が最高裁判所の機能を有し、司法官の役割を負うのは大法官”Lord Chancellor”や常任上訴貴族”Lords of Appeal in Ordinary”、枢密院司法委員会”Privy Council Judicial Committee”、下級裁判所における”Judge”やレコーダー”Recorder”がいるわけで、「さてどの頭文字を取りましょうか?」という問題は避けられないし、日本の実情にも合わせられない。

小括

以上の有力な批判の存在により、今のところバリスタ説はローマ字説の通説的地位を脅かすには至っていない。

例外的ローマ説(エル・アプローチ)

とはいえ、ローマ字説の不自然さが消え去ったわけではない。ローマ字も不自然、バリスタも不自然。であれば、弁護士の略称”B”の正統性はいつまでも担保されない。そこでローマ説の側から「なぜ”Lawyer”の”L”では駄目なのか?」という疑問を通して、批判に答える学説が現れている。これは従来のローマ説と結論を同じくするものであるが、より議論が緻密になっている。概要を述べると、原則として英語表記を採用するものの、ある特段の事情が存在する限りにおいて、ローマ字表記が採用されるというものである。

警察という存在

法曹界、特に刑事事件界隈で重要なアクターが警察官である。警察官の略称は”K”である。ただ、一般的には”K”という略称は「司法警察員面前調書」を指す”KS”という語でしか用いられない。日常会話で「Kがさ」という表現はあまり聞かず、「警察がさ」という方が多い。筆者も「Kがさ」と言われると夏目漱石の「こころ」かバンプオブチキンの名曲を思い出すだろう。略さないのは「けんさつかん」という日本語の発音がつい何らかの略称を欲するのに対し、「けいさつ」は「けーさつ」といった発音しやすい語句であることが影響していると言われているが、実証されてはいない。

しかし、警察の略称を”K”としていることは事実である。”B”の謎を解く鍵もここにある。

”K”が警察の略称となった理由は”keisatsukan”というローマ字表記であることは疑いえない。ドイツ語で刑事警察を指す”Kriminalpolizei”に由来すると主張する説もあるが、なぜ警察だけドイツ語なのかという理由はどう考えても説明がつかない。(ちなみに、検察官はドイツ語で”Staatsanwalt”であり、頭文字はPではない。)

警察がローマ説的に略称を決定された最大の理由は警察官の英語表記が”police offiser”であり、”Pとすると”検察官の”P”と被ってしまうからである。

ここから導かれる規範は、

略称を決定する際にアメリカ英語表記を由来に決定するのを原則として、例外的に英語表記を由来とするのに支障がある場合にはローマ字表記を由来とする。

というものである。これを例外的ローマ説と呼ぶ。

Lawyerについて

”lawyer”ではなぜ不適切なのだろうか? それは”lawyer”は弁護士のみを指す言葉ではないからである。”lawyer”は「法律家」という意味もあり、それ故、検察官や裁判官、あるいは法律学者といった他の専門家と弁護士とを区別するには若干の不都合さが否定できない。

バリスタという言葉で日本の弁護士が表現しきれなかったのと反対に、ローヤ―では日本の弁護士のみを特定して表現することができないのである。日本語の弁護士は帯には短いしたすきには長いといったところか。

この不都合さ故に”L”という選択肢は消えたのである。そこで、例外的ローマ説の規範通り、ローマ字表記由来の”B”が採用される。

イギリス英語でもいいではないかという批判に対して

アメリカ英語が不適切であればイギリス英語でも良いではないかとの指摘に対する答えも”K”が鍵となる。イギリス英語でも警察官は”police officer”である。例外的な場合はイギリス英語を採用すると決めた場合、「”P”重複問題」が発生するので、結果的にローマ字表記かドイツ語表記(!)に頼らざるを得なくなる。これは煩雑である。

原則はアメリカ英語説、例外はイギリス英語説、それでも支障があれば(例外の例外は)ローマ字説という規範も立てられなくはないが、技巧的に過ぎるし、無理がある。つまり警察が”K”である以上、例外的な場合はローマ字説という規範の方が論理的に明快であり自然である。

そして、そもそもこの批判はバリスタ説に対する批判の答えにはならない。

その他の批判

「民事事件では原告を”X”、被告を”Y”と表記するのはなぜか?」という批判もあるが、少なくとも刑事事件における略称として、例外的ローマ説の通説的地位を脅かすには至っていない。

また、「”Kensatsukan”の”K”を検察官の略称とし、”police officer”の”P”を警察官の略称とすれば良いのでは。」という指摘もなされているが、的外れな指摘といわざるをえない。

まとめ

以上より、例外的ローマ説という全ての略称を包括的かつ整合的に説明できる学説が登場し、ローマ説の通説的地位は揺るぎないものになっている。

(本稿に登場する論者は全てフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません!)

 


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