「権利があれば義務がある」「自由の裏には義務がある」の本当の意味


「権利があれば義務がある」
「自由の裏には義務がある」
この言葉は「権利ばかり主張するな」「何でも自由になるわけ無いだろ」という非難の気持ちを込めて語られることが多い。
また、権利や自由と引換えに義務を押し付ける際にも語られることが多い。
意味もよく考えずに使って誤用しているケースもある。
例えば「権利があれば義務がある。だから、夕方から花火に行きたければ(権利)、昼間のうちに草むしりをしなさい(義務)。」とか、
「自由の裏には義務がある。だから、バイトすることを許してほしければ(自由)、バイト代の一部を家に入れなさい(義務)。」とか。
一読するともっともらしく聞こえるが、実は誤解がある。
そもそも人は自由であり、原則として何でも行える。なぜなら人はそういう存在だからだ。野生動物が何の義務を負っていないのと同じレベルで、本来、人間は何の義務も負っていない。義務を課すのであれば何らかの理由が必要である。
自由という面から見ると、人間はとてつもなく自由だ。動物の中でも最高峰の知恵と手先の器用さを持っている。他のどんな動物も手に入れられない頑丈で快適な巣を持ち、飢えを克服し、文化を享受している。自由とは素朴に考えれば選択肢があることで、意思や欲望を実現する能力だ。
しかし、人間はその広すぎる自由のせいで、それぞれの人間が持っている自由と衝突することがよくある。いつでもどこでもお喋りしたいという自由が、静かに映画館で映画を観たい人とぶつかることがある。いつでもどこでも焚き火をしたい人が、他の人の家を燃やしてしまうこともある。
個々人の自由を拡大していくと、集団全体でとらえたときに、あるいは別の個人をとらえたときに、自由を制限することになりかねないのである。
そこで、自由が他の人の自由を必要以上に制限しないように、自由に出来る範囲を線引きするようになった。引いた線の内外、「ここまでの自由は許す」というのを権利と呼び、「これ以上の自由は許さない」というのを義務と呼ぶようになったのである。この線は法と呼ばれる。
これらの議論からはっきりすることは次のことである。
  1. 原則として人間の行うことは自由である。
  2. 自由が制限されうるのは、他の人の自由と衝突する場合だけである。
  3. 自由の制限(すなわち義務)は、人々の自由を、またある特定の人の大事な自由を守る場合にしか許されない。
これが自由の裏に義務があり、権利あれば義務があるという意味である。
「権利があれば義務がある。だから、夕方から花火に行きたければ(権利)、昼間のうちに草むしりをしなさい(義務)。」という表現がおかしいのは、花火に行くという権利と草むしりをする義務が全くつながらないからである。昼間に草むしりをすることが、夕方から花火に行く自由をどうこうするわけではない。「何故草むしりをしなければならないのか?」それは「草むしりをしなければ見た目が悪くなり、また虫が発生して、その虫に刺されたら身体がかゆくなるからである。」などと草むしりという義務を課す必要性をきちんと説明できなければならない。
「自由の裏には義務がある。だから、バイトすることを許してほしければ(自由)、バイト代の一部を家に入れなさい(義務)。」も同じだ。バイト代の一部を家に入れることと、バイトをする自由は、よく考えれば関係が無いのだ。
お気づきかもしれないが、結局、義務を課すにはそれ相応の理由が必要で、説得や説明が必要だ。本質的には義務を課す行為は、人と人との間の約束であったりお願いなのだ。それを「権利があれば義務があるでしょ」で済ませるのは、不誠実な態度だし、偉そうに聞こえる。きちんと義務を課す理由が説明できない場合の逃げ口上とさえ言えるだろう。
この言葉が飛び出てきたときには十分気をつけなければならない。騙されてはいけない。

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