よく使われるフレーズ
「自由の裏には義務がある」
この言葉はよく使われる。一緒になって「権利ばかり主張するな」「何でも自由になるわけ無いだろ」という非難の気持ちも込められることが多い。
また、権利や自由と引換えに義務を押し付ける際にも語られる。
意味もよく考えずに使って誤用しているケースもある。
事例
何が誤解なのか
しかし、人間はその広すぎる自由のせいで、それぞれの人間が持っている自由と衝突することがよくある。いつでもどこでもお喋りしたいという自由が、静かに映画館で映画を観たい人とぶつかる。いつでもどこでも焚き火をしたい人が、他の人の家を燃やしてしまうこともある。
個々人の自由を拡大していくと、集団全体の利益を害したり、別の個人の自由を制限したりすることになりかねない。
そこで、自由が他の人の自由を必要以上に制限しないように、自由にできる範囲を線引きするようになった。引いた線の内外、「ここまでの自由は許す」というのを権利と呼び、「これ以上の自由は許さない」というのを義務と呼ぶようになったのである。この線は法と呼ばれる。
これらの議論からはっきりすることは次のことである。
これが自由の裏に義務があり、権利あれば義務があるという意味である。
「権利があれば義務がある。だから、夕方から花火に行きたければ(権利)、昼間のうちに草むしりをしなさい(義務)。」という表現がおかしいのは、花火に行くという権利と草むしりをする義務が全くつながらないからである。
お気づきかもしれないが、結局、義務を課すにはそれ相応の理由が必要で、説得や説明が必要だ。本質的には義務を課す行為は、人と人との間の約束であったりお願いなのだ。それを「権利があれば義務があるでしょ」で済ませるのは、不誠実な態度だし、偉そうに聞こえる。きちんと義務を課す理由が説明できない場合の逃げ口上とさえ言えるだろう。
この言葉が飛び出てきたときには十分気をつけなければならない。騙されてはいけない。
花火に行きたければ、火事を起こさない様に消火の準備をしたり、
ゴミを持ち帰るといった責任が発生したり、
バイトをするのであれば、約束された時間を守ったり、
バイト先の規定やサービスレベルを保つ責任が生まれるのかなと。
あなたの言う花火の例は他者の自由や権利を害さないために、自らの自由に内在する制限の例として適切ですが、バイトの例は労働契約によって自らの自由を制限することを相手方に認めているという点で、若干、本記事の趣旨とはズレた例になっています。