サンドラ・ヘフェリン『体育会系 日本を蝕む病』を読みました。


体育会系。この言葉を私は呪う。その暴力性故である。

体育とは体を育てると書く。体育自体は多いに結構なことだ。人はこの肉に縛られて生きていかざるを得ないから。体育は生きることと密接に関わる営みである。

他方、人は肉のみに生きるにあらず。各人の理性や知恵、心性をまといながら生きる。これらに共通する基盤は言葉である。言葉無しの理性は存在しない。言葉無しの知恵や心性も存在しない。言葉によらず物理的な行為のみを人間が行うとき、その人間の振る舞いは「暴力的」と呼ばれる。

それ故、暴力性は不可解、「不」合理、「非」論理的、「違」法といった「~ではない」という意味の漢字とセットで表される。

私にとって体育会系とは心身の身のみが発達し、心が十分に発達していない存在である。二輪車が片輪走行で暴走しているようなものだ。

 

サンドラ・ヘフェリン『体育会系 日本を蝕む病』を読んだ。

「体育会系的な根性論」とはどういうものかというと、間単に言ってしまえば、「人間、どんなに周りの状況が悪くとも、本人にヤル気と根性さえあれば、がんばることができるんだ。何事も達成することができるんだ」というような思考のことです。」[1]「体育会系 日本を蝕む病」(光文社新書)発売令和2年4月8日閲覧。

これが日本に蔓延しているとのことである。

ブラック部活動、ブラック企業、女性差別、世代論、児童虐待といった切り口で、日本の体育会系的な点を切り取っていく。

作者が「ほぼ引きこもって書いていた」と表現することからうかがえるように、ネットにあふれる様々な日本社会への愚痴を一冊にまとめたらこうなるんだろうなという印象の本ではあるし、また、新規の視点は感じられなかった。

また、「それは体育会系とは関係なくない?」と思う記述も散見された。例えば、居酒屋の店員が大声で叫ぶという日本の奇妙な風習を紹介しているが、筆者の定義する体育会系とは関係ないだろう。ネットでも話題になっていた学校での「下着チェック」もそれは体育会系思考(=「やればできる」)とどう関係するのかは曖昧だ。

とはいえ、日本のおかしな風習を紹介するという点ではよくまとめられた本だったと思う。

 

私の考える体育会系というのは最初に述べた通りだが、ヘフェリン氏の指摘する「体育会系思考」も結局「思考(=言語)の欠如」という観点で、私の考える体育会系と同じように捉えなおすことができるだろうと思った。この思考の欠如が暴力性を生み、社会のあちこちで問題を生じさせていると私は考えている。そして、これは日本だけの問題ではないと思っているが、やはり日本の問題であることは間違いないのである。


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