空の話


自分は夕暮れ前の空が好きだ。空の色が胸焼けするような赤でもなく、妙に気持ちをたかぶらせる青でもなく、なんとも落ち着く沈んだ色の空である。空自体は光を失いつつあるのに対し、浮かぶ雲には今まさに夕日に変わろうとする太陽が照りつけて、雲は金色に輝くのである。太陽がどんどん下がるにつれて、雲も金色からピンク色に変わり始め、空も真っ赤に染まり始める。その直前にしか見ることの出来ない風景なのである。この空を見るたびに、自分も世界も境界を失っていくような不思議な感覚に襲われる。

 

自分は昔から空を眺めるのが好きだった。中学の頃、授業中の教室から見える青空を眺めては「自分はこんなことをしていていいのか? ここにいるべきではないのではないか?」などと、別になんにも出来ず、どこにもいけないが故の気楽さと、それでも何かしらの期待感を抱いたものだった。全く具体的な展望ではないのだが、青い空の開放感は、些細な想像を不要にする。肯定感の色だった。雲ひとつない青い空を見上げると、何にもない虚無が現実として広がっているのを実感し、自分の心も虚しくなったりもした。また、静かな寂しさが目から身体の中に流れ込んでくるような気がした。

 

そう考えると、中学生や高校生だった頃は、通学路や授業の合間などによく空を見ていたと思う。空を見ながら別のことを徒然考えていることもあったが、空そのものもよく見ていた。

 

ひるがえって、今、自分はほとんど空を見ない。出勤や日中は仕事の移動で何となく気ぜわしい。そして帰宅はもう日没後である。そうすると大したことのない大分の町でも何となく夜空なのか何なのか中途半端な暗さの空を眺めるしかないのである。心を侵食するような黒い夜空はとんとお目にかかっていない。そんな空を見るのも気が乗らなくて、結局歩きスマホである。(微々たるものだが、結局夜の暗さを汚しているのは自分も一緒なのかもしれない。)こうして、結局は自分のせいなのだが、空に飢えていくのである。

 

たまにどうしようもなく疲れたときは早めに帰宅する。家の窓からぼんやりと眺める空が、昔見ていた色と同じように見えていることに気づくと、もはや時間も場所も、自分もその他も境界をなくしながら、わずかに残っている自分の感性が「自分はこんなことをしていていいのか? ここにいるべきではないのではないか?」と問いかけてくるのである。その問いに答えを出せぬ自分をおいて、空は「らしさ」を失っていく。そして、結局、なにをするでもなくスマホをいじるのだ。


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