供述の信用性とは
誰かの話が信用できるかどうかを判断しないといけない場面は多い。嘘をついているんじゃないか、正確に話していないんじゃないかということを見落とすと、大失敗することがある。
刑事裁判の場合には、無実の人が死刑になったり、民事裁判でも、高いお金を取られたり、重大な結果が待っていることがある。日常生活でも、ホイホイと詐欺にひっかかってしまうかもしれない。
人を見たらドロボウと思え、という世の中は、悲しい世の中ではあるが、人の話を鵜呑みにして不幸にならないように、信用できる話かどうかの見分け方は知っていても損はない。
供述について
供述は言葉での説明のこと。
例えば、殺人事件を見てしまったジョンが、かけつけた警察官に「トムがメアリーを殺すところを見ました。」と説明したとする。
この場合、「トムがメアリーを殺すところを見ました。」というジョンの説明が供述と呼ばれる。
ジョンのように供述をした人を供述者という。
信用性について
信用性とは、真実だと信じることができること。
先ほどのジョンの供述は真実だと信じることができれば、警察官は「ジョンの供述には信用性がある」という。
反対に、何らかの理由で、ジョンが嘘をついていたり、見間違いをしていたりする可能性がある場合には、ジョンの供述を真実だと信じることができない。このとき、警察官は「ジョンの供述には信用性がない」という。
供述の種類
供述にも色々と種類がある。
先ほどのジョンの供述は、目撃者の供述ということで、目撃者供述という。
目撃者供述の中でも、「犯人はこの人です」という内容ならば、犯人識別(はんにんしきべつ)供述と呼んだりする。
ジョンが犯人だと名指ししているトムの供述は、被疑者あるいは被告人の供述なので、被疑者供述とか被告人供述という。
被疑者供述や被告人供述が、「俺がメアリーを殺した。」などと罪を認める内容なら、自白供述とか、単に自白という。
反対に、「俺はメアリーを殺してない。」などと罪を認めない内容なら、弁解供述とか、単に弁解ということがある。
そして、殺されているメアリーは供述できないが、被害者が供述していれば、それは被害者供述と呼ばれる。
その他にも、事件に関係する人の供述は参考人供述、被害者や被疑者・被告人以外の人の供述を第三者供述、犯人の仲間(共犯者)の供述を共犯者供述という。
あと、重要な区別がある。ウソの供述のことを虚偽供述という。見間違いや、覚え間違い、言い方の悪さなどで、供述が間違っていたとしても、わざとウソをついたわけではなければ、虚偽供述とはいわない。
ところで、裁判所に呼ばれた証人が裁判官の前で供述する場合、この供述を証言という。
そして、供述を書き取ってまとめた文書のことは調書という。
供述の信用性の判断方法
供述の信用性を判断する、先ほどの例で言い換えれば、ジョンの供述が信用できるかどうかを判断する方法として、刑事事件では次のよな見方をする。
これは民事事件でも似たようなものだし、日常生活でも応用できる。
虚偽供述の動機
その人にウソをつく理由があるかどうかを考える。
人間は、ウソをつく理由がなければ、わざわざウソをついたりはしない。ウソだとバレたときに、信用を無くすからだ。まして裁判所でウソをついたとなると、虚偽証言として罰を受けることもある。
逆に言えば、ウソをつく理由さえあれば、ウソをついてしまうのも人間だ。
例えば虚偽供述で供述者に何か得なことがあれば、ウソをつく理由があることになる。
具体的に先ほどの例で見てみよう。
ジョンとトムは同じ会社で働いていて、ライバルだったとしよう。そうすると、ジョンとしてはトムは会社からいなくなってもらった方が都合がいい。そこで、トムに罪をなすりつけるために、ウソをつくかもしれない。
もちろん、ジョンは本当のことしか話していない可能性もある。だが、だからといって鵜呑みにせず、念のために信用性を判断したほうがいい。
供述内容の変遷
人間は、本当のことを話しているときは、基本的に何度聞かれても同じ話ができるはずだ。
反対に、何度か同じ質問をしているのに、同じ話ができない場合には、本当のことを話していない可能性がある。
同じ話ができないことを供述の変遷(へんせん)という。
例えば、ジョンが110番電話に出た警察官に「知らない男がメアリーを刺した!」と通報したとする。
通報した時は、「知らない男がメアリーを刺した!」とジョンは供述しているわけだ。
ところが、その後、かけつけた警察官には「トムがメアリーを刺した。」と供述している。
犯人は知らない男だったのが、いつのまにやらトムになっていて、供述の変遷がある。
警察官としては「なんでジョンは最初から『トムがやった』と言わなかったんだ? もしかしてウソをついているのでは?」と考える必要があるのである。
供述の合理性
1回きいただけでも信じられない供述というものはある。
例えば、ジョンが「トムはドラゴンに姿を変えて、メアリーを殺しました。」と言えば、警察としてはジョンの精神状態を心配する必要があるし、ジョンの供述の信用性も相当疑う必要がある。
客観証拠との不整合
供述ではない証拠を客観証拠という。例えば現場に落ちていたナイフ、首に絞めあとがあるメアリーの死体が客観証拠にあたる。
さて、警察官はジョンに「トムはどうやってメアリーを殺したんだ?」と質問して、ジョンは「現場にあったナイフで一突きでしたよ!」と供述したとする。
警察官は「ふむ。確かに現場にナイフはあったが、これには血はついてなかった。メアリーは首を絞められたあとがあって、ナイフが刺さった傷はなかった。ジョンは何を言ってるんだ?」とジョンの見間違いか虚偽供述を疑わざるをえない。
首をしめているのとナイフで刺しているのとを見間違えたとなると、ジョンが見た犯人がトムであるかどうかも疑わしい。
供述者の状況
目撃した現場の状況が暗かったり、うるさかったり、すごく遠かったりすると、それだけで見間違いやすくなる。
目撃した時間が一瞬だったり、眼鏡をかけていなかったりしても、やはり見間違いの可能性は高まる。
供述者が病気だったという事情も、見間違いの原因になるので、やはり信用性は疑わしいものになる。
目撃した日から供述した日までの期間が空いていても、やはり記憶違いは考えられる。
まとめ
このような様々な見方で供述を検討して、どうにも疑わしいなということになると、供述の信用性はないということになる。