由布について
有名な湯布院温泉は大分県由布市にある。
もとは湯布院町だったが、平成の大合併によって由布市となった。
由布市の名前の由来は、その合併時の一般公募で最多得票だったからだそうだ。
おそらく由布市を見下ろす大分の名山として名高い由布岳にちなんだ名前になったのだろうと思う。
では、由布岳は何故「由布」というのだろう?
由布とは木綿のことだった
由布の語源は木綿のことらしい。
かつては木綿を「もめん」ではなく、「ゆう」と読んでいたそうだ。今でも伊勢神宮等の神事に使用する木綿は「ゆう」と読むらしく、原料も綿花ではないようだ。
木綿は「木のワタ」と書くが、私は、「ワタは木というより草なのに変だなぁ」と思っていた。しかし、実は、木綿の「木」とは文字通り木のカジノキとかコウゾとかいう木のことを指し、「綿」とは糸というか繊維のことを指していることが調べてわかった。つまり、木綿とは「カジノキとかコウゾとかからできた繊維」という意味のようなのである。そうすると「木綿」という漢字もしっくりくる。
さて、「ゆう」とは、まさにこのカジノキなどからできた糸のことを言う。
そして、この「ゆう」からできた布を「たえ」(栲)というらしい。和歌の枕詞に使われる「白栲」(しろたえ)とは「白い布」のことだが、「ゆう」から作る布が白いからとのことである。そしてカジノキのことを、「たえ」の材料になる木ということで、「たえのき」とも言っていたそうだ。
昔、由布岳には「たえのき」が一杯あった
生活の基本を衣食住というくらい、衣服は重要な物だが、だからこそ衣服の材料である布も重要な産物である。これは古代から変わっていない。「たえのき」もきっと重要な原材料だったのだろう。
そんな由布岳の近くには「たえのき」が沢山生えていたそうだ。そこに住む人達は「たえのき」から「ゆう」を作っていたそうである。必要不可欠な物を作っていたのだから、きっと繁盛していたのではないだろうか? その地域は、温泉で繁盛している町を温泉町と呼ぶように、「ゆうの郷(さと)」と呼ばれるようになったそうである。
豊後国風土記には次のようにある。
こ の郷(さと)の中に、栲[1]原文は木へんに、つくりが老かんむりに「丁」(「たく」と読む。「たえ」に同じ。)の樹多(さわ)に生(お)ふ。常にの皮を取りて、木綿(ゆう)を造る。因りて柚富(ゆう)の郷と日(い)ふ。
現代語訳すると、次のようになるだろうか。
この里の中には、「たえのき」が多く生えている。土地の人は、いつも「たえのき」の皮を取って、木綿(ゆう)を作っている。そこで、この里のことを「ゆうのさと」と呼ぶ。
なんとも古風で良いネーミングセンスだと思う。しかも「柚富」という当て字も素敵だ。というのも、「柚」とは「機織りの道具」という意味があるらしく、「柚富」とは「機織りの道具が沢山あるよ」という布の生産地にぴったりな漢字と言えるからだ。
そして、柚富の里が近くにある山ということで、「柚富の峰(ゆうのみね)」と呼ばれるようになったそうだ。そして旧仮名遣いでは「ゆう」を「ゆふ」と書いていて、「ゆふのみね」だったからか、漢字が転じて、「由布の峰」、そして今では「由布岳」となったそうだ。
ちなみに「由布」という当て字もぴったりである。なぜなら、「由」とは「出所」とかいった意味があるそうで、おそらく由布とは「布の出所」すなわち布の産地を意味しており、語源に忠実である。
そしていつのまにやら、由布岳の麓の町も「由布市」となって、歴史を感じる名付けだなあと思う。
なお、由布岳は「木綿(ゆう)の山」という書かれ方もしており、万葉集に次のような歌がおさめられている。
娘子(おとめ)らが 放りの髪を 木綿(ゆふ)の山 雲なたなびき 家のあたり見む
まとめ
昔、由布市がある地域には、「たえのき」が沢山生えていた。「たえのき」は当時「ゆう」と読む木綿の材料であり、そこから「たえ」と呼ばれる布を作っていた。この地域に住んでいる人達が「たえのき」から沢山布を作っていたので、この地域のことを「ゆふ(う)のさと」と呼ぶようになった。「ゆふのさと」は「柚富の里」と書かれていたが、いつのまにか「由布の里」になり、近くにあった山の名前も「柚富の里」から「由布岳」になった。
これが「由布」の語源ということのようである。
参考文献
坂本伸幸・村田右富実・牧野貞之『日本全国万葉の旅 西日本・東日本編』小学館、2015、初版、42頁
References
↑1 | 原文は木へんに、つくりが老かんむりに「丁」 |
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