東京オリンピックのボランティア問題


私はスポーツにあまり興味がないため、東京オリンピックなんて無くなってもらっても全く残念に思わない。

しかし、東京でやってくれないと嫌だという人がいるのは知っている。

だが、それを知ってもなお、国民投票で五輪開催の是非を問うてくれれば、速攻で反対票を投じるだろう。

理由は単純明快でお金だ。

五輪の東京開催が決まるまでは、「コンパクト・オリンピック」などと抜かしておきながら、決まった途端に「あれも新設」「これも新設」と色々と競技場などを作ることになった。

新しく建物を作るには莫大なお金がかかる。しかも、それを維持するお金もかかる。お金がかかる建物を小バカにして「ハコモノ」と言ったりする。

日本には既にハコモノがたくさんある。このハコモノを維持するだけでも大変なお金がかかる。ハコモノではないけれど、道路や水道、病院や空港、学校に市役所など、きちんと維持しなければ困ってしまうものもたくさんある。五輪にお金を使う余裕はない。

ついでに言えば、五輪なくてやらなくても建設会社や関係する人たちの仕事はなくならない。

もし余裕があるとしても、五輪に使うべきなのだろうか?

五輪に使えるお金があれば、教育に、研究に、国の将来に投資ができる。五輪で使ったお金のほとんどは五輪が終われば残らないだろう。どんなに記憶に残る思い出深い五輪でも、それ以上のものは残さない。

子供の貧困という問題が深刻になっている。子供が自分の将来を選ぶことができなくなっている。五輪に使うお金が、もし返済不要の奨学金として使われればどうなるだろう? 授業料に充てられるようになったらどうなるだろう? ある意味、五輪は子供の将来と引き換えに開催されるのだ。

いったい誰のための五輪なのか? 五輪のニュースを聞くたびに偉い人たちの自己満足に付き合わされているようで、むなしい気持ちになる。


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