自由と正義の2018年12月号に、升永英俊弁護士が「一人一票訴訟と統治論」という題名で寄稿した[1]日本弁護士連合会「自由と正義」2018年12月号、5頁、升永英俊「一人一票訴訟と統治論」。
一人一票訴訟は個人的には看過しがたい問題であり、日本は全国一区の比例代表制を採用すべきだというのが私の意見だ。だから、升永弁護士の寄稿も大筋で賛同している。もっとも、一点、論理的な誤謬があるように思われるので、検討したい。
疑問のある記載
疑問のある記載は次のものだ。
ここでは、一票の投票価値の不平等が憲法違反か否かを議論することを目的としているため、衆院は、比例代表議員を除いた、小選挙区議員により構成されると仮定して、議論を進める。
非人口比例選挙では、国民の半数未満(すなわち、少数)が、必ず国会議員の過半数(すなわち、多数)を選出し、かつ国民の過半数が、必ず国会議員の半数未満を選出する。
けだし、非人口比例選挙(すなわち、一人一票でない選挙)では、当選する国会議員の数が人口の数に正比例しないからである。
[2]同6頁
非人口比例選挙では、半数未満の国民が、必ず、国会議員の過半数を選出し、かつ国民の過半数が、必ず国会議員の半数未満を選出する。
このような主張は間違っている。
「必ず」と言い切ってしまう場合の反証の仕方
「必ず」というからには、「ある主張について、考えられる全ての場合を検討して、そのいかなる場合でもそのように言える」という状態を示す。
「男子校に在籍している生徒は、必ず男子だ」という命題は「男子校に在籍している生徒は、その1人1人誰を見ても、全て男子だと言える。」という意味である。
これは男子校とは男子のみが在籍している学校のことを言うのだから、定義上、明らかに真の命題であり、正しい。
(女子のいる男子校はもはや男子校ではない。)
他方、例えば「学校に在籍している生徒は、必ず男子だ」という命題は、正しくない。
それを反証する(正しくないことを証明すること)のは簡単だ。
女子生徒がいる学校を1つでも具体例として挙げれば良いのである。
つまり「Aは必ずBだ」という主張は、「AではないB」の具体例を挙げれば、間違いだと言え、反証が成功する。
「AではないB」の例
升永弁護士の主張が間違っているというためには、次の必要がある。
すなわち、
非人口比例選挙において、過半数の国民が、過半数の国会議員を選び、又は、半数未満の国民が、半数未満の国会議員を選んで場合
を示せば良い。
以下の場合を考える。
全人口が120人の国があったとし、この国に3つの小選挙区(A区、B区、C区)があるとする。
A区の人口は50人、B区の人口は40人、C区の人口は30人とする。
各区からは2人の立候補者があり、1人の国会議員を選ぶこととする。
国会は3人の国会議員によって選ばれる。
そして、A区で49対1、B区で39対1、C区で29対1の投票結果となり、それぞれ国会議員が選ばれたとする。
この場合、次のことが言える。
A区で選出された議員は、49票で選出されている1人である。
B区で選出された議員は、39票で選出されている1人である。
C区で選出された議員は、29票で選出されている1人である。
すなわち、国全体では、117票で国会議員3人が選出されている。
117票は、人口120人の国では、明らかに過半数である。
国会議員3人は、3人の国会議員がいる国会では、明らかに過半数である。
したがって、過半数の国民が過半数の国会議員を選んでいる。
また、半数未満の国民(3人)は半数未満の国会議員(0人)しか選んでいない。
(なお、A区とB区、B区とC区、C区とA区、それぞれの組み合わせでも、過半数の国民が2名の国会議員を選んでいる。)
なお、この国の選挙は、明らかに非人口比例選挙である。
各区とも40人の人口の場合にのみ、人口比例選挙だからである。
以上より、過半数の国民が過半数の国会議員を選び、半数未満の国民が半数未満の国会議員しか選んでいない場合が示せたので、升永弁護士の主張は誤っているといえるのではないかと思う。
疑問の正体?
一応、升永弁護士が本当は何を言いたかったのかは何となくわかる。
例えば、A区の人口が114人、B区、C区がそれぞれ3人だとして、最も接戦だった場合、すなわちA区で58対56、B区とC区でそれぞれ2対1になった場合、国会議員の過半数である2人がB区とC区のわずか4票(明らかに半数未満)の投票数で選ばれている。
これはおかしいだろ、という主張である。
確かに、4人という全人口120人の0.03%が、国会では3人中2人という約66%の票数を作り出していることになり、まさに少数者が国会の過半数を制したと言える。
なので、おかしいことはおかしいし、結論には賛同したい。