大日本帝国憲法下における戒厳令について 備忘録


戒厳令に関する基本事項を記載した。

 

第1 戒厳の意義

平時において天皇大権の下、国家権力は分立する。立法権、司法権、行政権である。

戒厳とは、非常事態にあって、行政権と司法権の行使を軍隊の司令官に委ねるものである。注意すべきは、戒厳にあっても、立法権が軍隊の司令官に委ねられるものではない。もっとも、行政権や司法権の行使にあたって、平時に課せられている法律による制限が、戒厳下では相当程度緩められる。その意味では立法権による統制が及ばない範囲は増えるともいえる。

軍隊の司令官に行政権・司法権を委ねる目的は、軍事上の目的を達成することを直接は含まない。あくまでも兵力をもって非常事態が一地方に与えうる危害に対処するという一種の治安維持目的である。これによって軍事上の目的の達成に寄与したとしても付随的なものといえる。

また、戒厳下において行政権や司法権を制限していた法律の多くは停止される。そのため、戒厳令の範囲内で、平時において国民の権利保護やその制約のために定められた法律、例えば刑事訴訟法――が効力を失うことになる。

 

第2 戒厳の根拠

1 憲法上の規定

大日本帝国憲法第14条

第1項 天皇は戒厳を宣告す。

第2項 戒厳の要件及び効力は法律を以て之を定む。

戒厳は、憲法が想定している非常事態において宣告されるものである。憲法が想定していない非常事態に際し、憲法秩序を維持するために行使される国家緊急権とは、この意味で異なる。

憲法が想定する非常事態は、あらかじめ法律により定められておく必要がある。この法律が戒厳令である。天皇は、戒厳令に基づき、戒厳宣告の要件を満たすと判断すれば、大権を行使する。

具体的な戒厳令は明治15年太政官布告第36号である。大日本帝国憲法の制定よりも以前であるが、大日本帝国憲法76条1項より、基本的に新しい戒厳令(戒厳法)が帝国議会によって制定されるまでは、明治15年戒厳令が有効であり、実際に同戒厳令が大日本帝国憲法下では唯一の戒厳法であった。

 

2 憲法解釈問題

戒厳令と憲法の関係については、いくつか問題がある。

(1) 天皇大権一般との関係

まず、天皇大権との関係である。後に見るように、戒厳令には、軍隊の司令官に戒厳宣告の権限が与えられているように読める条文がある(戒厳令4条~6条)。

ここから1つの問題が生じる。軍隊の司令官に戒厳宣告の権限が与えられていることが、天皇大権を犯すもので違憲無効なのではないかという点である。

この問題については、天皇が一地方の非常事態に際し大権を臨機に行使しうるとは想定できないので、軍隊の司令官に委任したものと解釈すれば、違憲無効ではない。

しかし、この解釈を採用するともう1つの問題が生じる。天皇大権を委任することは勅令を以て行うべきであり、法律による天皇大権の委任は違憲無効なのではないかという点である。

この問題については、法律による委任が許されてしまえば、委任された大権を大権の行使によって回復することが困難になるため、事実上の大権の制限とならざるをえないので、憲法が戒厳宣告を大権として規定している以上、法律による戒厳宣告の委任は許されないと解釈することになる。そうして戒厳令の該当条文については、勅令として法的効力を有するのであって、法律としての法的効力は有さない。このことから、戒厳令の改正は、該当条文については、勅令による改正しか許容されない。

(2) 非常大権との関係

次の問題も天皇大権に関する問題である。

大日本帝国憲法31条

本章(注:第2章「臣民権利義務」)に掲げたる条規は戦時又は国家事変の場合に於て天皇大権の施行を妨ぐることなし。

このように憲法にはいわゆる非常大権も規定されている。非常大権と戒厳大権とは非常事態における天皇大権という点で共通しているが、以下のような差異がある。まず、非常大権は戦時又は国家事変の場合とあるが、その発動要件にはほとんど制限がない。その一方で、第2章に定められた臣民の権利に対する制限しか許されないので、帝国議会や裁判所に対する統制は及ばない。他方で、戒厳令は法律で定められた要件にしたがって宣告する必要があり、また他の国家権力をも統制しうるというのは先に見たとおりである。もっとも重要な相違は法律による制限を受けるか否かであり、非常大権はこの意味では大権の名にふさわしい法外な効力を有すると言ってよいだろう。

(3) 統帥大権との関係

また統帥大権との関係も問題になる。

大日本帝国憲法第11条

天皇は陸海軍を統帥す。

仮に戒厳大権が、広く統帥大権の範囲に属する権利であるとすれば、帷幄上奏権の問題となり、戒厳宣告や戒厳下における実務上の運用に軍部以外が関与できないことになる。

もっとも、一般に戒厳大権は国務上の大権に属する権能であって、統帥大権には属していないと解されている。このことは、戒厳に関する事務が陸軍大臣・海軍大臣に属するという陸軍省令、海軍省令の規定、枢密院が戒厳について意見を述べるべきとする規定、明治37年に広島宇品に宣告された戒厳では勅令に内閣総理大臣と陸軍大臣、海軍大臣の副署があることから明らかとされる。

他方で、戒厳宣告後の、実際上の軍隊の動きは当然統帥大権の命じるところによる。結局、戒厳宣告を行う大権は国務上の大権であるが、戒厳宣告後の戒厳下の軍隊の司令官の権限は統帥大権に属するものとし、戒厳令の範囲内において、行使されることになる。

 

第3 戒厳の要件

1 戦時又は事変に際して宣告されること

戒厳令1条より、戒厳宣告は戦時又は事変に際して宣告されることが規定されている。

 

「戦時」とは通説的には天皇による宣戦が効力を有する期間である。なお、宣戦も天皇大権の1つである(大日本帝国憲法13条)。「事変」とは宣戦は行われていないが、大規模な対外的武力戦争が行われているような事態や、内乱を含む事態である。事変に天災を含むかどうかは争いがあるが、大日本帝国憲法の起草者の1人、井上馨は否定的な見解だったようである。

もっとも、後に見るように、戒厳令によらない戒厳が緊急勅令をもって宣告されることはありえ、関東大震災時に宣告された戒厳は、まさにこの戒厳である。緊急勅令に基づく戒厳を特に行政戒厳と呼ぶ。

 

「際して」とは戦時又は事変の勃発が切迫している時点も含む概念である。このような時点において、すでに戒厳の必要性が生じうるからである。また、戦時又は事変の終了後にも必要期間認められるとする説もある。必要性の観点からは首肯できる。しかし、あまりに戒厳宣告要件が広がるではないかとの批判はありうるところである。

 

2 兵力の使用を要する事態にのみ宣告されること

戦時又は事変を原因として、全国又は地方に生じうる危害(公共の危険)を除去するに、兵力を使用するしかない状態であることが必要である。これも戒厳令1条に「兵備を以て」とあることから導かれる。兵力の使用を要さずに、警察力をもって危害が除去できるのであれば、戒厳宣告の必要性を欠く。

 

3 天皇が宣告すること

憲法上の規定に従い、天皇が戒厳を宣告する必要があるのが原則である。先に見たように、天皇大権の勅令による委任に基づき軍隊の司令官が戒厳を宣告できる場合もある。

基本的には天皇大権に属する戒厳宣告の当否を事後的に審査することはできない。もっとも、観念的に違法・合法の判定をしえないものではない。例えば、明治24年の大津事件で大審院長児島惟謙が大逆罪の類推適用に否定的な態度を取った時、政府は戒厳宣告をもって司法権を制限しようとすることを検討したようだが、このような戒厳宣告が実際に行われていれば、明らかに違法と評価せざるを得ない。

 

第4 戒厳の種類

1 戒厳対象地に関する種別(戒厳令2条)

戒厳令には臨戦地境戒厳と合囲地戒厳の2種類がある。敵に包囲される危険性がある地域については合囲地戒厳を宣告することができ、そうではない場合には臨戦地境戒厳が宣告されることになる。臨戦地境戒厳は臨戦地、つまり戦場ないしは前線に近接している地域のみを指すようにも思われるが、戒厳令1条に「全国若しくは一地方を」とあることから、近接していない地区についても適用可能と解される。

合囲地戒厳が宣告された例はない。臨戦地境戒厳は日清戦争・日露戦争の際に例がある。

 

2 戒厳令に基づくかどうか

戒厳令に基づく戒厳を真正戒厳、戒厳令に基づかない戒厳を行政戒厳という。行政戒厳は緊急勅令をもって宣告されることになっている。緊急勅令は大日本帝国憲法第9条に基づく。

大日本帝国憲法第9条

天皇は法律を執行する為に又は公共の安寧秩序を保持し及臣民の幸福を増進する為に必要なる命令を発し又は発せしむ。但し命令を以て法律を変更することを得ず。

 

3 誰が発するか

天皇が宣告する戒厳を通常戒厳、天皇に委任された軍隊の司令官が宣告する戒厳を臨時戒厳という。

臨時戒厳は上記の戒厳宣告の要件にさらに要件が加重される。

 

第5 臨時戒厳の種類・要件・手続

1 臨時戒厳の種類

臨時戒厳の特色は天皇等の政府中央にある国家機関の判断輔弼をまつことが出来ない非常時に宣告されるというものである。

このような特色から、臨時戒厳は、戦時における戦時臨時戒厳と平時における事変臨時戒厳に区分される。

戦時臨時戒厳は、さらに合囲地臨時戒厳と戦略的臨時戒厳とに分かれる。

 

2 合囲地臨時戒厳宣告の要件

合囲地臨時戒厳の根拠は戒厳令4条前段である。

(1) 戦時に際してであること

つまりは事変や天災を理由とする合囲地臨時戒厳は宣告できない。

(2) 鎮台営所要塞海軍港鎮守府海軍造船所等に関すること

鎮台は師団司令部を意味する。戒厳令制定当時は鎮台条例があったが幾次かの改正により師団司令部令になっているからである。

営所は旅団司令部を意味する。同じく鎮台条例の改正で旅団司令部条例が制定されているからである。

要塞は要塞地帯法上の要塞を意味する。

海軍港は海軍区令及び鎮守府令に基づく軍港要港を意味する。

鎮守府は鎮守府令に基づく鎮守府を意味する。

海軍造船所は海軍工廠令に基づく海軍工廠を意味する。

その他、性質上、上記に類する陸海軍の施設が含まれる。例えば軍司令部、警備府、防備隊、陸軍燃料廠、陸軍需品廠、海軍燃料廠、海軍火薬廠である。

(3) にわかに合囲若しくは攻撃を受けたこと

上記の場所が敵によって包囲(合囲)されたか、実際に攻撃されたことを要する。なお、包囲されたり攻撃されたりした場合であっても、臨戦地境戒厳を宣告することは可能である。

(4) 軍隊の司令官による宣告であること

具体的には、軍団長、師団長、旅団長、軍司令官、要塞司令官、警備司令官、分遣隊長、艦隊司令長官、艦隊司令官、鎮守府司令長官、警備府司令長官、防衛総司令官である。

なお、戒厳令4条後段に「出征の司令官」とあるが、当該司令官が国外に出ている必要はない。そもそも戒厳令は国内に宣告する。また、出征地においては占領地軍政が行われる以上、戒厳宣告の必要がないからである。

 

3 戦略的臨時戒厳宣告の要件

戦略的臨時戒厳の要件は戒厳令4条後段である。

(1) 戦時に際してであること

上記と同様である。

(2) 戦略上臨機の処分を要すること

敵襲に即応しなければならない事態、敵の謀略に対抗しなければならないなどの必要性に応じて行われる必要がある。

 

4 事変臨時戒厳宣告の要件

事変臨時戒厳の要件は戒厳令5条である。

(1) 土寇を鎮圧するために必要であること

土寇は内乱を指すと解釈されている。

(2) 通常戒厳の宣告を請う時間的余裕がないこと

通常は、軍隊の司令官は、内乱が発生した場合でも、速やかに上奏して通常戒厳の宣告を要請しなければならないが、事変臨時戒厳はこのような通信が行えない場合を想定している。

 

5 臨時戒厳宣告後の手続

(1) 公示

臨時戒厳は通常戒厳と異なり天皇による宣告(詔書の形式をとる。)ではないから、適宜の方法により公示する。

新聞掲載、掲示、ラジオ等の方法が考えられる。

(2) 報告

臨時戒厳を宣告した司令官は戒厳司令官として、陸軍大臣又は海軍大臣に報告を行う義務がある(戒厳令7条)。

なお、天皇から委任を受けた司令官による戒厳宣告が陸軍大臣等の監督を受けうるかは問題である。陸軍大臣等は当該司令官に対する監督を天皇から委任されている以上、積極に解するのが通説である。

(3) 他の戒厳種類への変更

戒厳下におく場所の変更を要する場合があるので、その際には、他の要件を満たす限り、合囲地境戒厳から臨戦地境戒厳へ変更するなどの手続をとることは認められている。

 

第6 戒厳の効力

1 行政事務の掌握

地方を対象に宣告された戒厳においては、行政事務が戒厳司令官の指揮監督下(自ら執行する場合も含む。以下同じ。)に移る。したがって、これらの行政事務を所管する行政庁の行えることは、戒厳司令官も行えるとみて差し支えない。

ただし、重要な限定として、臨戦地境戒厳においては、軍事に関する事件に関してのみ、指揮監督権限が移る。合囲地境戒厳にはこのような限定はない。軍事に関する事件とは、結局、戒厳令下における秩序維持に必要な範囲でという意味に捉えられる。合囲地境戒厳においてはこのような限定が性質上不適当とみなされているのである。

地方には朝鮮や台湾といった外地も含まれ、総督府の事務も例外なく戒厳司令官の指揮監督下に移る。

全国を対象に宣告された戒厳においては、中央官庁が所掌する事務も移る。

なお、いずれの指揮監督についても、戒厳司令官が隷下の軍人又は地方官に委任することは許される。これは他の権限についても同様である。

 

2 司法事務の掌握、裁判との関係

ここでいう司法事務は、司法行政事務である。原則として、前記の行政事務と同様に戒厳司令官の指揮監督下に移る。軍事に関する事件に関するのみか、一般的な事務が全て移るかも、前記の区分に従う。

なお、裁判は司法事務とは区別されている(戒厳令11条参照)。

臨戦地境戒厳においては、裁判は通常裁判所の管轄である。

合囲地境戒厳においては、民事刑事の事件中、一定のものは軍隊が取り扱う。また、同戒厳の戒厳下に通常裁判所を利用できない場合には、一切の民事刑事の事件を軍隊が取り扱う。戒厳令では軍の組織としての軍衙が取り扱うと定められており、具体的には特別裁判所たる軍法会議がこれに該当する。なお、後述する。

 

3 特別執行権

戒厳下において平時の法令によらない特別執行が認められている(戒厳令14条)。

(1) 言論集会の制限

非常時に予想される危害を惹起させるのに寄与しうる言論集会の制限がある。戒厳の目的に照らせば、集会には多衆運動すなわち講談論議を目的としない複数人の移動も含まれる。また、集会が制限しうる以上、永続的な集会とみなせる結社も制限しうる。執行は、禁止、解散、差し押さえ、事前検閲、事後検閲等、適宜の方法による。

(2) 危険物の取締

非常時に予想される危害を惹起させるのに寄与しうる物品を適宜押収することができる。なお、一時的な領置を原則とし、戒厳が解かれた後に返還できるようにする必要がある。

もっとも、危険物については制定法(例えば銃砲火薬類取締令)等に従って制限する方が簡便な場合もある。

(3) 通信交通の制限

郵便物等は開封できる。船舶物品は検査し、陸海路においては停止させて取り締まることができる。

(4) 家屋等の検査

合囲地境戒厳にしか認められていない。いつでも、どこでも捜索が行える。

(5) 退去処分

合囲地境戒厳にしか認められていない。戒厳下から危険を生じさせうる者を退去させることができる。ただし寄宿する者という限定が付されているので、一定期間居住することを前提としている居住者(住民)には及ばない。

(6) 軍需用物品負担

軍需用品(動産)の調査と輸出禁止を命じることができる。一般には徴発令や国家総動員法に基づく処分で足りるが、司令官に特別に認めたものである。なお、当該処分を受けた場合であっても、損失補償は受けられない(戒厳令14条)

(7) 動産不動産破壊負担

戒厳の目的達成に必要な範囲で動産や不動産を破壊することができる。ただしやむを得ない場合でなくてはならない。もっとも、同じく国家総動員法や防空法等に同様の規定がある。

 

4 戒厳司令官による処分に対する救済

戒厳司令官の処分によって権利又は利益を侵害された者については、行政裁判法又は訴願法に基づく救済を受けることはできないと解釈されている。同法にいう行政庁に戒厳司令官が含まれていると明記されていないからである。

もっともこの見解には異論もある。戒厳司令官による処分も事後的にその適法性が確認される手続自体はあって然るべきである。というのも、結局非常時における行政庁を戒厳司令官とすることが戒厳宣告の大きな効果の一つだからである。戒厳の実効性確保の観点からは、戒厳司令官による処分の裁量権を広くするなどの実体法上の解釈適用の問題として処理するべきである。

 

5 合囲地境戒厳における裁判について

合囲地境戒厳においては、原則として軍事に関する民事裁判は戒厳司令官が所掌し、具体的には軍法会議において、処理される。軍事に関するというのは、純軍事的なもので、軍人軍属、あるいは軍(国)が当事者であるもの、又は軍需用品の権利関係が問題となるような訴訟とされる。そして、一定の訴訟手続が省略される。例えば通常、軍法会議で認められている上告が許されない(戒厳令13条)。

また、刑事裁判は、原則として、軍人軍属等が当事者となる刑事事件、戒厳令11条に列記した刑法犯(皇室に対する罪、内乱罪、住居侵入罪、強盗罪等)の事件、及び特別法に定められた罪の刑事事件について、戒厳司令官ないしは軍法会議が処理することになる。裁判手続も、軍衙(軍法会議)の裁量に委ねられている。合囲地境戒厳下にあって一般的な民事訴訟に注力することは想定できないから、簡易迅速な判断が求められる。

なお、通常裁判所が機能しえない、利用もできない場合には、一切の刑事民事の事件が合囲地境戒厳の戒厳司令官の所掌するところになる。

 

第7 戒厳の終了

1 戒厳解止宣告

戒厳の終了は戒厳解止宣告による。天皇が解止を宣告することにより、どの種類の戒厳も終了する。戒厳司令官が宣告した戒厳も、当該戒厳については当該司令官が解止宣告をすることができる。当然ながら、戒厳司令官が、天皇が宣告した戒厳について、解止宣告をすることはできない(戒厳令8条参照)。

天皇による解止宣告は、枢密顧問への諮詢を経て、詔書をもって行う。なお、緊急勅令に基づく戒厳は勅令をもって行う。

 

2 その他の事由

戒厳解止宣告以外の事由、例えば戦争の終了等は戒厳の終了事由にはならない(戒厳令15条)。

 

3 戒厳解止宣告後の法的効果

戒厳下において行われた戒厳司令官の処分(判決を含む。)の効力は、戒厳解止宣告後も有効である。

 

第8 実際の戒厳について

戒厳が宣告(緊急勅令の公布を含む。)された例は以下のとおり。

1 日清戦争にともなうもの

明治27年10月6日から明治28年6月18日までの戒厳。

広島市及び宇品を臨戦地境とする戒厳宣告があった。これは日清戦争開戦後に設置された大本営が広島に移転したことを踏まえて宣告されたものである。講和後に解止宣告があった。

2 日露戦争にともなうもの

明治37年2月14日から明治38年10月16日までの戒厳。

長崎要塞、佐世保要塞、対馬、函館要塞を臨戦地境とする戒厳宣告があった。これは日露戦争開戦後に要塞ないしは海上要衝防衛の観点から宣告されたものである。講和後に解止宣告があった。

なお、明治38年5月25日から明治38年7月7日までの間、台湾全域を臨戦地境とする戒厳宣告があった。ロシアが台湾に上陸するとの警戒からである。なお、日本海海戦は5月27日にあった。

3 日比谷暴動事件にともなうもの

明治38年9月6日から明治38年11月29日までの戒厳。

日露戦争の講和条約であるポーツマス条約に反対する国民暴動の影響で、東京の一部に戒厳令が準用された。この戒厳は緊急勅令に基づく行政戒厳であり、戒厳令に基づく通常戒厳ではない。もっとも、戒厳令を相当準用している。東京衛戍総督が戒厳司令官となり、警視総監や東京郵便局長に戒厳令記載の処分権限を与えている。

4 関東大震災にともなうもの

大正12年9月2日から大正12年9月6日までの戒厳。

関東大震災にともなう混乱に対処するための東京を中心とする関東地方の一部に戒厳令が準用された。この戒厳も緊急勅令に基づく行政戒厳であり、戒厳令を相当準用した。関東戒厳司令部条例(勅令)も制定され関東戒厳司令官として福田雅太郎を任命するも、甘粕事件の責任により解任されるという経緯があった。なお、戒厳下における軍の不祥事は甘粕事件だけではなく、亀戸事件も起きている。

5 2・26事件にともなうもの

昭和11年2月27日から昭和11年7月17日までの戒厳。

2.26事件にともなう混乱に対処するため、東京市(当時)に戒厳令が準用された。この戒厳も緊急勅令に基づく行政戒厳であり、戒厳令を相当準用した。関東戒厳司令部の後継組織である東京警備司令部(暫定組織だったはずだがまだ設置されていた。)が事実上、戒厳司令部となり、戒厳司令官は東京警備司令官だった香椎浩平が任じられた。

これが最後の戒厳となり、終戦後の昭和22年5月17日に戒厳令は廃止された。

 

参考文献

鵜飼信成『戒厳令概説 (戦時法叢書)』1945年、有斐閣。


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