1 日本の子どもは政治活動を現実に制限されている
子どもの政治的な意見を極度に嫌がる風潮がある。そう感じるのは、理由がないものではない。
例えば文科省の恥知らずな通知。既に18歳は参政権が与えられているにもかかわらず、文部科学省は以下のような通知を教育委員会等に発している。
3.放課後や休日等に学校の構外で行われる生徒の選挙運動や政治的活動については、以下の点に留意すること。
(1)放課後や休日等に学校の構外で生徒が行う選挙運動や政治的活動については、違法なもの、暴力的なもの、違法若しくは暴力的な政治的活動等になるおそれが高いものと認められる場合には、高等学校等は、これを制限又は禁止することが必要であること。また、生徒が政治的活動等に熱中する余り、学業や生活などに支障があると認められる場合、他の生徒の学業や生活などに支障があると認められる場合、又は生徒間における政治的対立が生じるなどして学校教育の円滑な実施に支障があると認められる場合には、高等学校等は、生徒の政治的活動等について、これによる当該生徒や他の生徒の学業等への支障の状況に応じ、必要かつ合理的な範囲内で制限又は禁止することを含め、適切に指導を行うことが求められること。(高等学校等における政治的教養の教育と高等学校等の生徒による政治的活動等について(通知)令和5年8月17日閲覧、下線太字は引用者による。)
つまり、どういうことかというと、文部科学省は、高校生が学校の構外(「学校内」ではない!)で政治活動をすることについても、生徒間に政治的対立が生じるなどの理由があれば、禁止せよと言っているわけである。
百歩譲って学校内であれば、学校の施設管理権が優先されるという理屈はわからなくはない。(それでも全面禁止は反対である。)
ただ、文科省の言い分に従えば、共産党支持の高校生が在学していることを理由に、自民党支持の高校生が学外で自民党への投票を呼びかける行為を制限してもよいということになるだろう。なぜなら、共産党支持の高校生と自民党支持の高校生が学校内で討論でもしようものなら、「学校教育の円滑な実施に支障がある」(≒みんな仲良くすべきという意味不明なお友達原則違反)と認定されるから。そんなことがこの政治的表現の自由を最高度に保障するとうたった日本国憲法下においても近代文明国の名においても許されるはずがないだろう。
その他、文科省は学校外での政治活動をする際には学校に届出をするように校則で定めることも許容するなど、無茶苦茶もいいところである。どこの管理国家か。北朝鮮かと思う。
参政権をもっている高校生ですらこうである。小中学生など何をか言わんや。
2 本来、日本の子どもは政治活動の自由を保障されている
文科省が野蛮な通知を出していようがなんだろうが、日本の子どもは政治活動の自由を保障されている。
まず日本国憲法。
第21条第1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
政治活動の自由は、どのような政治主義、政策、政治家、政党を支持するかという思想信条を表現する活動であることが、その本質的な内容である。したがって、政治活動の自由は、表現の自由の一内容である。
表現の自由の中でも政治活動の自由は、民主主義の基盤であるとともに、民主主義を守り、ひいては国民の自由権利幸福を確保するための最低限かつ最重要な権利であるというのが一般的な理解である。
このような自由は未成年者であっても原則として高度に保障される。憲法上の権利は様々あるが、中には未成年者が心身の成長過程であることを考慮して合理的な範囲の制約を受けることを許容する反面、権利の性質上未成年者にも保障可能な権利を保障することを憲法は求めている。
そのため、法律上の制限は事実上、選挙運動の禁止程度のものである。これは特定候補者への投票の呼びかけは禁止するということである。つまり、自民党支持のファンアートを作成することや、共産主義について熱く語ることや、デモ行進に参加することや、岸田首相に手紙を書くことも許されているのである。
ちなみに、児童の権利に関する条約(通称:子どもの権利条約)にも次のようにある。(太字下線は引用者である。)
第12条
第1項 締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。
第13条
第1項 児童は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。
第2項 1の権利の行使については、一定の制限を課することができる。ただし、その制限は、法律によって定められ、かつ、次の目的のために必要とされるものに限る。
(a) 他の者の権利又は信用の尊重
(b) 国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護第14条
第1項 締約国は、結社の自由及び平和的な集会の自由についての児童の権利を認める。
第2項 1の権利の行使については、法律で定める制限であって国の安全若しくは公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳の保護又は他の者の権利及び自由の保護のため民主的社会において必要なもの以外のいかなる制限も課することができない。
条約は国内においても法的効力を有するので、上記の権利は子ども達に権利として認められているのである。文科省の通知が以下に違法・不当なものか分かる。
3 子どもたちよ。もっと気軽に請願しよう
とはいえ、子どもにデモを企画しろ、参加しろ、政治家を批判する署名を集めろ、なにしろかにしろというのは、非常に困難を強いることになるだろう。
そんな子どもたちでも簡単にできる政治的表現がある。それが請願である。
日本国憲法16条には次のようにある。
何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
政治的な希望を持った場合に、請願(≒希望を出すこと)が許されているのである。
それを具体化したのが請願法である。
請願法はとても短い法律だが、読むと面白い。天皇に対する請願も可能であることが前提になっていたりする。
この請願、やり方は非常に簡単で、紙に、(1)名前、(2)住所、(3)希望する内容を書いて、出したい先に出せば良い。
内閣総理大臣宛に請願したければ、内閣に出すことになるだろう。
Google検索しても内閣の請願の提出先が書いてあるページが見当たらないが、内閣の事務を補佐している内閣官房に提出するので良いだろう。首相官邸に送りつけてもいいだろうが。
その場合には、封筒かハガキの表面に
〒100-8968 東京都千代田区永田町1-6-1
内閣官房 御中
(内閣宛請願書在中)
とでも書いて送れば良い。
なお、請願したい先が衆議院ならこちら。
参議院ならこちら。
こっちはルールが色々と定められていてややこしい。ただ、ややこしい分、対応は比較的ちゃんとするだろう。
4 大人は子どもの政治活動にもっと寛容であれ
岸田首相に小学生が「なぜ防衛費をあげるのですか」などと書いた手紙を送った件がニュースになった。
これについて『和光小学校6年2組一同』と書いてあることで揚げ足を取って「全体主義に繋がる」などと非難した政治家もいて笑い転げた。
そんな理屈が通るなら、衆議院のロシアのウクライナに対する非難決議も衆議院「一同」の意見として表明しているが、反対政党もあったわけで、実に「全体主義」的な活動をしていることになるだろう。
しかし、笑ってばかりもいられない。
大人はまずもって子どもが更に一歩考えるための材料を提供することこそ肝要である。頭ごなしに発言を黙らせたり、「小学生だからといって、一国の総理大臣にお手紙を送っても返事はきません。」などと希望をへし折るような真似をするべきでもない(実際、書くかどうかは岸田首相が決めることで、衆議院議員候補者が決めることではない。)。
その上で、事実誤認、論理的矛盾があれば、これを正すことは必要だろう。その手続は「対話」であるべきで、「強要」「強制」であってはならない。
そしてより具体的には、大人は「政治的中立性」などという言葉に逃げてはいけない。そう思う。
大人が使う「政治的中立性」とは、いかなる思想信条・政治的立場とも関連しない無味無臭の立場という意味だろうが、そんな禅問答みたいな立場や主張など存在し得ない。その立場は端的に言って無主張、無思考、無分別である。
我々は矛盾し対立する様々な主張を突き合わせていくことによって、両者のバランスを取っていく作業が必要なのである。それこそが「政治的中立性」である。政治的中立性は1人の人間の思想で完結できるものではなく、複数人の人間の対話の中で、その関係性においてのみ、成立しうるのである。
その意味で、揚げ足取り議員候補者のTweetも子どもたちに「反対説も理解しようとしたか?」と問うたことは評価に値する。もちろんその問は彼にそのまま跳ね返るのであって、どのように答えるかは見ものであるが。