明治44年の九州・沖縄弁護士大会(大分)の様子


1911年(明治44年)に大分市で九州・沖縄弁護士大会が開催された。

法律日日という古い雑誌にその時の様子が記されていたので、紹介したい。

 

会場は大分県会議事堂である。1889年(明治22年)に落成した。

(豊田寛三 [ほか]著『大分県の百年』,山川出版社,1986.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9775442 (参照 2023-11-02)、p.67より)

今で言うところの県議会の議事堂であり、当時の弁護士会が大会のために利用していたことには驚かされる。他に適切な会議場がなかったのかもしれない。

 

午前9時から始まり正午に閉会。議題は刑事弁護に関する決議案が多い。大分県弁護士会の提出議案には、「勾留状に勾留事由を具体的に書くよう建議すべき」などとある。

 

事情は不明だが、午後の講演会は中止されたらしい。

 

そして午後7時30分から春日浦蓬莱館で懇親会が始まった。春日浦蓬莱館というのは大分市春日浦にあった社交クラブ施設である。後に「大分クラブ」と名前を変え、その一角に「春日亭」という大分随一の高級料亭があった。九州・沖縄からはるばるやってきた弁護士を歓迎するには適当だったのだろう。総ケヤキづくりの立派な建物で、当時は埋立て等も進んでいなかったから、会場からは松原と海が眺望できた。

記事にはたくさんの扇風機が会場に置かれていて快適だったとある。開催日は9月1日だが、まだまだ暑かったのだろう。扇風機の設置が記事になるというのも往時を感じさせる。

来賓を含めて70人くらいが参加し、30人くらいの芸妓(記事では「龍宮城の乙姫とも見紛う」とある。)がもてなしたとのこと! やりたい放題である。

ちなみに来賓の中には県知事、裁判所所長、検事正、大分典獄(今で言う刑務所長)なども参加したようである。刑務所長が参加するというのが今となっては珍しい。

 

翌日は午前8時から別府で温泉巡りをしたらしい。集合場所は日名子旅館とある。別府市で最古参の温泉宿として、昭和天皇の行幸先にもなるなど、権勢を誇ったが、昭和の末頃に倒産した。

参加者は汽車に乗って亀川駅に向かい、そこから徒歩で地獄めぐりをしたそうだ。別府市は鶴見山の噴火で形成された扇状地になっていて、東から西にかけて結構な登り坂になっている。亀川駅は比較的海沿いで、別府の地獄は比較的山方面なので、結構な距離の坂道を登らされたことになる。参加者は、この炎天に地獄めぐり歩かせるのは大分県弁護士会による虐待だと不平不満を漏らしたそうだが、確かに同情を禁じえない。もっとも、参加者は血の池地獄等を見て回り、また坂の上から別府湾の眺望を楽しんで、最終的には満足したそうである。

昼食は富士屋旅館。富士屋旅館はもう閉業しているが、建物はギャラリーとして残っている。明治時代から残る貴重な建築物である。

 

午後7時から不老泉という温泉でまた懇親会をしたそうだ。不老泉は、別府の老舗温泉で、今でも市営温泉として存続している。

 

あととてもどうでもいいが、ゴシップニュースも記載されている。上原鹿造という大分県出身の弁護士がいて、大会当時衆議院議員だった。その上原がこの大会に出席するために大分に向かっていた途中で、愛媛の弁護士でやはり衆議院議員だった森肇を見かけ、令嬢風の美人と一緒にいるのがわかり、「本性をすっぱ抜かん」と決意した上原が森に根掘り葉掘り聞いたようである。森は「そんなじゃないって」と交わそうとしたが、結局追及に負けて「松山で囲っている愛人だ」と暴露したそうだ。上原が「素人ではない」と判断した理由は面白い。この同行女性が、上原から逃げるためにその場を後にする時、首を横にかしげたそうである。上原は「令嬢ならまっすぐお辞儀をするはずだ!」と見抜いたとのことだ。礼儀作法が今以上に当人の所属や身分を表す時代だったのだと思う。

 

(参考文献)

『法律日日』(155),法律日日社,1911-09. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1493621 (参照 2023-11-03)


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