2026年1月24日、高市内閣により、第220回国会(通常国会。憲法上は「常会」という。)が召集された。同国会は同日解散された。以下のとおり、珍しい経過を辿っているので、備忘的に雑記する。
1 通常国会召集当日の解散
通常国会の召集当日に解散された例は、日本国憲法施行以降では、第220回国会を含めて2例しかない。
1例目は、1966年12月27日に召集された第54回国会である。このときの内閣総理大臣は佐藤栄作。黒い霧解散と呼ばれる。解散前に自由民主党の不祥事事件が続発する中、政界の混迷、国会運営の支障を解消する目的で行われた。今回の解散と類似する点も多い。
2 召集当日の解散の例
召集当日の解散は国会会期の種類によって、通常国会(常会)、臨時会、特別会に分類される。通常国会は1年に1度召集される国会。(憲法52条。解散・総選挙との兼ね合いで開かれないこともある。)臨時会は通常国会以外に必要に応じて召集される国会。(憲法53条。なお、時の内閣の自己都合により召集されない場合もある。)特別会は臨時会の一種であるが、内閣総理大臣の指名が行われるという特徴がある。(憲法54条1項)
各会期の初日に解散権が行使されることを冒頭解散という。
冒頭解散は日本国憲法下では、今回の解散を含めて5例あるが、上述に紹介した国会以外は全て臨時会である。
具体例は、1986年6月2日の第105回国会(死んだふり解散)、1996年9月27日の第137回国会、2017年9月28日の第194回国会である。
3 解散権の所在
本件でも注目されているのは解散権は憲法上自由に行使しうるのかどうかである。現在の最高裁判例に基づけば、憲法7条に基づき、内閣は相当広範囲な解散権の行使が認められている。
参考として1952年8月28日に行われた解散が挙げられる。当時の内閣総理大臣は吉田茂だった。当時の与党自由党(後に日本民主党と合同して自由民主党になる。)の内部一派が選挙戦を有利に戦って権力を掌握する目的で行われた。外部の者には解散の意図を告げず、自らは選挙準備を万端にしておくという、奇襲的解散である。俗に「抜き打ち解散」と呼ばれる。この卑怯な解散権の行使により、自由党は大幅に議席を減らした。(全466議席中、285議席から240議席に)
この解散は、日本国憲法7条にのみ基づく解散、つまりは内閣総理大臣が任意の時期に行う解散の1例目でもある。そのため、憲法上の解散権の所在や手続きに関する議論も行われた。その議論は苫米地事件という一連の事件にも参照されている。
第220回国会も、高市内閣による自己延命目的であると思わざるを得ない。台湾有事発言から少しずつ高市批判も一般化しつつある情勢の中、高支持率を背景にして、4年間の政権存続を確保しようとする浅ましい考えだろう。
吉田=自由党政権と同じく、大幅に議席が減ることを望むばかりである。
4 冒頭解散では開会式をしない
通常、国会会期の初期に内閣総理大臣による施政方針演説が行われることになる。この施政方針演説の数日前に開会式が執り行われる。
開会式には国会行幸がある。玉座は参議院にのみ設置されているので、衆議院の開会式も参議院において行われる。式中は天皇陛下からお言葉を賜る。
ただ、冒頭解散の場合、開会式は開かれない。そのため、行幸もないのが通常である。(宮内庁のホームページでは天皇陛下がお言葉を賜ったイベントが一覧で出て来るが、冒頭解散の際にお言葉を述べた例はない。また、参議院でも開会式が行われた記録がない。)なお、国立国会図書館デジタルコレクションで確認できる1963年の衆議院先例集には、このような場合を想定した記載がなさそうだった。
畏れ多くも陛下に解散を助言しておきながら、一方で開会式へのご出御を助言するのは、誠に不敬の極みであるから、当然のことではある。
今回調べていて気付いたが、内閣総理大臣を指名する特別会の後、すぐ臨時会が開かれる場合、開会式は都度行われる。そのため、国会への行幸も短期間に2度ある。例えば令和6年11月14日は第215回国会開会式があり、その約2週間後の11月29日には第216回国会開会式があった。(おことばの文言が微妙に変わっている。)
5 万歳三唱の特徴
解散詔書の朗読をもって衆議院解散が議長により宣言されると、その時点で失職した(元)議員達は万歳三唱をするのが慣例である。ところが今回の解散では一部野党議員を中心として解散時の万歳三唱が行われない様子が見られた。
(参照:ビデオライブラリ)