読書メモ 「労働組合像の交錯 戦後初期日本の労働運動と共産主義」『社会主義の世紀』


日本の労働組合には2つのおおよそ否定的な評価がつきまとう。

(1)「反戦」「平和」といった政治活動をしている結果、現在では活動が低調である。

(2)日本共産党の政治闘争に巻き込まれた結果、現在では活動が低調である。

この2つのイメージは重なり合う要素なわけだが、いずれも日本の労働組合ひいては労働運動をかなり単純化しており、それ故に歪曲とさえいえるのではないかと常々思っていた。

が、いかんせん言語化する術がなかった。今般、うまく言語化してくれている文献と古本屋で邂逅した。

1 文献

見つけた文献というのは、熊野直樹先生と星乃治彦先生の編による『社会主義の世紀――「解放」の夢にツカれた人たち――』(Amazonの頁に飛びます。)の第6章「労働組合像の交錯 戦後初期日本の労働運動と共産主義」である。

著者は現・専修大学経済学部長の兵頭淳史先生。

2 3つの労働組合像と歴史的展開

この文献では、労働組合を主に3つのイメージの間で揺り動いた存在として捉えている。

1つは現在主流な見方であるところの「労働条件の維持・向上をめざす団体交渉組織」(p.131)である。労働法で学ぶ労働組合に最も近いように思われる。

2つには「諸政治勢力が、自らの抱く未来像とも結びついた組織像の具現化をめざす闘争の場」(p.132)、すなわち「革命の主体」というイメージである。

そして、「生産の担い手」(p.136)というイメージが3つ目に挙げられる。これはイメージしにくいが、どちらかというと労使協調路線に沿った労働組合像といえそうである。悪く言えば御用組合も含むだろう。

 

筆舌に尽くしがたい戦禍にまみれた敗戦国日本において、戦後復興は最優先課題だった。そのような状況下では、生産の担い手としての労働組合像が広がる下地が生まれていたといえる。実際に右派活動家によって組織された大企業の労働組合が国内でまず組織化されたようだ。

他方で、戦禍による生活難が革命的な政治運動を引き起こす下地も存在していた。ここには旧体制への直接的な行動を前提とする大衆運動の担い手、中核的な組織としての労働組合像が並び立つ基礎があったといえる。そこに社会党や日本労働組合総同盟(とその前身)の活動の契機、そして戦後に合法化された日本共産党が労働組合に影響力を及ぼそうとした契機もあった。

さらに、日本共産党は生産管理闘争の激化と戦後初の総選挙に向けた運動のために、地域別工場代表者会議を結成し、情報交換の場や支援体制を整えた。その結果、社会党らの動きに遅れたにもかかわらず、労働運動を手動する位置に立てた。

その後も、「労働組合は革命の主体であると同時に生産の担い手でもある」という論理によって、右派活動家によって組織されたはずの組合にも浸透することに成功した。

 

もっとも、このあたりから労働組合が団体交渉組織としての側面を有することも注目され始め、経営協議会(労使協議の場)の設置が広まったことによりその動きが目立つようになった。日本共産党は経営協議会を「工場ソヴェト的な位置づけ」(p.139)にしようとしたが、これには無理が生じていた。

また、1946年、日本共産党は大規模な大衆運動を実現するための明確な方針を欠いているばかりか、GHQの介入を恐れるなどして、国鉄労働組合総連合を中心とするゼネストを思うように実施できないという失態を犯す。(ただそれでも2万人を動員する大規模な運動となった。)

同様に指導方針の統一を欠いたため、同年に、日本新聞通信放送労働組合(新聞単一)によるゼネストに失敗。

挙げ句に、同年に電気産業労働組合協議会(電産協)が実施しようとしたストライキを政治ストライキとは位置づけることを放棄した。皮肉にも、このストライキが労働条件の改善に関する大幅な成果を勝ち取ったため、団体交渉組織としての労働組合像が力を持つきっかけになった。

 

3 感想

兵頭先生は記載されていないが、その後、日本共産党は1947年の二・一ゼネスト断念により、労働組合を革命の主体として位置づけることに決定的に失敗する。

しかし、これは日本共産党が労働組合を引っ掻き回したというより、そもそも1946年に労働組合側のエネルギーを日本共産党がうまく活用できなかった結論というべきだろう。要は、日本共産党は、組織として明確な戦略を描けず、結果的に時機を失したのである。(残念ながら現在の日本共産党にもいえる問題である。)日本共産党は引っ掻き回したのではなく、労働者の自発的な動きについていけない臆病さを見せたとも言えるだろう。

少し話が変わるが、ロシア革命もフランス革命も、革命はいつだって組織化された集団が巻き起こすのではなく、人々の自然発生的なエネルギーが引き起こすのだということを思い起こさせる。

 

反面、日本の戦後の労働組合、労働運動の起点が、単なる労働条件の団体交渉組織としての出発ではなかったことは強調しなくてはならないだろう。労働運動は、大衆のほとんどが労働者である以上、大衆運動と地続きにならざるをえない。この本にあったとおり、特に戦禍と敗戦の経験が労働組合を単なる労働条件の団体交渉組織にとどめておくことは歴史が許さなかったと言っても良さそうである。

そして、よくよく考えれば、別に労働組合が反戦・平和を訴えて何が悪いのかという問題である。もちろん、現在、戦争の記憶なんてない社会においては、労働者の待遇改善といった現実的な要求に応えることは必要最低限の役目である。その上でさらに反戦・平和を唱えるのであれば、何の問題もないように思われる。それに、個々の政策に対する賛否、賛否を示すかどうかは労働組合の自主的な議論によればよく、外野が非難する筋合いはない。要は、労働組合は政治性を持つことを非難されるいわれはない。

現在の労働運動の低調さは、労働者の現実的な要求に応えるという必要最低限の役目を果たしていないか、役目を果たしていることのアピール不足に求められるだろう。その意味では反戦・平和のアピールにとどまってはいけないのだろう。

 

ところで、個人的な立場としては、労働組合が反戦・平和を訴えるという事実を否定はしないが、もう上手く行かないだろうという思いも持っている。もうそういう時代じゃないのよということなのだろう。時代が労働組合を政治運動に引きずり込んだのだから、時代が変われば労働組合は別の性格を持たざるを得ない。そして、時代が変わったからと言って堅持すべき反戦・平和の運動は労働組合でなければできないわけでもあるまい。(労働組合でできない以上、別の道を探らなければならないという意味でもある。)

 

しかしだからといって日本の反戦・平和運動において労働組合が果たした役割が否定されるべきでもないのだ。

 


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