4月19日に、飯塚幸三(当時87歳)が、運転する車を暴走させ、若い親子2人を含む10人が死傷させた。
事故直後から、昨今問題となっている老人の危険運転であること、死傷者数が多いこと、特に若者を死なせてしまったこと、飯塚幸三が勲章を授与されたこともある元高級官僚であったこと、結果として逮捕されなかったこと、同時期に発生した神戸市のバスが起こした事故や中年アルバイトが通勤中に起こした事故では加害者運転手が逮捕されたこと、から、様々な感情や主張が国中に満ちた。
今回は次の2つのポイントを取り上げる。
- 何故、飯塚幸三は逮捕されないのか?
- それに関連して、警察が「上級国民」飯塚幸三に忖度したのではないか?
1.何故、飯塚幸三は逮捕されないのか?
(1)逮捕は処罰ではない。
1つの誤解をまずは指摘しなければならないだろう。
その誤解とは逮捕は処罰であるというものだ。これは全くの誤解だ。逮捕は処罰ではない。逮捕は処罰するために必要な調査方法の1つだ。
この誤解は逮捕されればマスコミが即犯罪者であるかのごとく報道し、逮捕されれば人生が狂うという日本社会の認識の甘さが蓄積した結果である。
もし逮捕が処罰だとすれば、大問題だ。裁判を受けさせずに処罰ができるということになるからだ。裁判せずに処罰できる世の中では、警察が一番偉いということになる。警察は気に入らない人間を片っ端から逮捕して、処罰することになるだろう。そんな世の中の方が良いと思う人たちは、よっぽどのマゾか、自分だけは警察に嫌われないという楽天家のどちらかである。どちらの意見も言うのは勝手だが、日本をそのような国にしようとするのは勘弁してほしい。
(2)法律に従って逮捕しなければならない
そこで、逮捕するにしても一定のルールに従ってもらわなければ困る。警察を縛るルールとはまずは法律だ。
警察等による逮捕は、刑事訴訟法という法に書かれている。
刑事訴訟法に書かれた逮捕以外の逮捕は、単に不法な身体拘束として処罰の対象になる[1]刑法220条 逮捕罪 3か月以上7年以下の懲役。刑事訴訟法に従っていない逮捕はしてはならない。
警察は当然法律に従わなければならないので、刑事訴訟法に従っていない逮捕はできない。
(3)刑事訴訟法の大原則
何故、飯塚が逮捕されないのかを考えるには、刑事訴訟法を見てみないとはじまらない。
刑事訴訟法でとても重要な条文を引用する。
第百九十七条 捜査については、その目的を達するため必要な取調をすることができる。(後略)
捜査の目的とは犯罪の証明だ。最終的に犯罪者を処罰するには、刑事裁判で証拠を提出して、有罪を証明しなければならないからだ。
「犯罪を証明するためにはどんな捜査をしてもいい」ということになると困る。無実の人間でも拷問にかければ「自分は犯罪者です。」と言うだろう。「こいつは犯罪を犯したに違いない。」ということで四六時中尾行され、家の中を盗聴されるのは、不快を通り越して不当だろう。たとえ犯罪者でも、病気で入院中に無理矢理警察署に連れて行って、死なせてしまってはどうなるのか? 死なないまでにしても、早く病院に戻りたいという思いから、やはり無実の罪を背負うのではないか?
そこで、捜査は犯罪を証明するのに「必要」な範囲でのみ行える、ということになっている。
(4)逮捕について考える
逮捕も捜査の1つである。疑わしい人間(被疑者)が逃げてしまったら、犯罪は証明できなくなる。また、逃げなくても、証拠を隠してしまったら、やはり犯罪は証明できなくなる。そこで、被疑者を捕まえてしまって、移動を制限する捜査手法が必要になる。これが逮捕である。
捜査は犯罪を証明するのに「必要」な範囲でのみ行える。だから、捜査の方法の1つである逮捕も犯罪の証明のために「必要」な範囲でのみ行える。
逆に言えば、犯罪を証明するのに必要がない逮捕は行えない。
どういう場合に必要がないのか? それは逮捕は何のために行うのかを考えればすぐにわかる。まず、何らかの事情から、被疑者が逃げないようなら、逮捕する必要が無い。また、逮捕をしなくても、十分に犯罪を証明できる証拠が集まるのなら、逮捕する必要がない。
例えば被疑者が病人や高齢者の場合には逃げないだろうと考えられる。被疑者の周りの家族や弁護士が家でしっかりと逃げないように見ていますということであれば、やはり逃げないという判断に傾く。初犯の万引きは、常識的に(それが正しいかどうかはともかく)重たい罪にはならいので、わざわざ自分の生活を捨ててまで逃げようとは思わないだろうとされる。このように逃亡の可能性は、被疑者の年齢や生活環境、捜査されている犯罪の重さ等から、判断される。
例えば監視カメラにばっちりと犯行が記録されていれば、被疑者を逮捕しなくても、そのカメラの映像を警察が入手すれば立派に犯罪は証明できる。警察が先に証拠を十分に押さえているのであれば、証拠集めのための逮捕は必要なくなる。
まとめると、被疑者が逃げるおそれがないか、犯罪の捜査を証明するための証拠の収集が十分であれば、逮捕は必要ない。そして、必要のない逮捕はしてはならないと法律には書いている。したがって、被疑者が逃げるおそれがないか、証拠の収集が十分であれば、警察はその被疑者を逮捕してはならない、ということである。
(5)飯塚幸三の場合は?
飯塚幸三は、事故直後、負傷していた。自身も骨折していたそうである。そのため、入院していた。入院中に逃亡することはまずない。そこで、逃亡のおそれがないため、逮捕の必要がなかった。ということで、警察は逮捕をすることができなかった。
退院後も逮捕はしないということである。何故か? 今回の事故については現場付近の監視カメラの映像だけでなく、飯塚幸三の車のドライブレコーダーにも映像が残っていたそうである。これも警察が押収している。事故を起こした車も押収されており、ブレーキに不具合が無かったかどうかなどを警察が調べている。したがって、退院する頃には、逮捕をしなくても、十分証拠が集まっている状態にあった。
なお、ネット界隈では、「飯塚幸三がフィエスブックの頁を消したことが証拠隠滅じゃないか」などという話もされているが、フェイスブックが飯塚幸三の犯罪の証明になるわけではないので、消したからと言って、直ちに証拠を隠滅したことにはならない。
以上の理由が全てではないだろうが、飯塚幸三が逮捕されないのは法律に照らせばおかしな判断ではない。
2.上級国民だから忖度したのでは?
(1)それは正直わからない
警察が忖度したかどうかは正直わからない。しかし、上記のとおり、忖度していようといまいと、逮捕しないことは法律的には正しいことなのだから、飯塚幸三を逮捕しないことで警察を批判することは不当だと思う。
なお、一般的には社会的な地位がある人間のほうが逃げにくいという判断はありうる。[2]ちなみにゴーンは外国に逃げてしまう可能性はあるどちらにせよ、逮捕しないことが不当だという理解にはならない。これは上級国民に気をつかった判断ではなく、法律に従った判断だからだ。
(2)飯塚以外にも警察に忖度はないのか?
警察は面倒くさい犯罪の捜査には非常に及び腰だ。逆に、上からノルマを課せられたり、自分の手柄になりそうな犯罪の捜査は積極的にやるのはやると思う。また、警察のメンツをつぶすような捜査はしない。
別に警察官もみんながみんな正義漢ではないのだから、忖度があっても不思議ではない。
(3)忖度があるのでは? と疑うことは超重要
警察は逮捕するかしないかを、忖度しようと思えば忖度できる立場であるということは、決定的に重要だ。
だから、警察に対し、常に疑惑を向け、捜査すべきことを捜査していないのではないか、必要でない捜査をしているのではないか、などを国民が監視し続ける必要はある。
そのような監視の目は、法律に従った適法な警察、正しい警察を作るためには不可欠だ。警察も国民の理解がなければ成り立たないからだ。
だから、ネット上で警察を批判する意見が出ることは素晴らしいことだと思う。もっとも、今回の飯塚の件で警察を批判する必要はなかったのだ。
(4)視点を変える
何故、飯塚幸三が逮捕されないのかを問うことも大事だが、こう問うてみても良いのではないか? 何故、神戸市のバス運転手は逮捕されたのか? 何故、アルバイトの中年男性は逮捕されたのか?
不必要な逮捕をしているおそれを想定することも、警察を見張るという意味では大事なことだ。
3.その他
(1)勲章はどうなるのか?
この記事でも書いた。飯塚幸三の勲章が剥奪される可能性はある。
ただ、ゴーンの場合は有罪になれば「わざと」罪を犯した者であるのに対し、飯塚幸三の場合は有罪になっても「不注意で」罪を犯したものであるから、飯塚のほうがゴーンよりも、剥奪されにくいとは思われる。わざと罪を犯したほうが、不注意で侵したほうよりも悪いからだ。
まあ、個人的には剥奪してほしいとは思うが。
(2)法律を改正すべきなのか?
飯塚幸三が逮捕されないことを理不尽だと感じる人々は、法律の改正を考えるかもしれない。
しかし、考えて欲しいのは、改正された後の社会のことである。それは、逮捕しやすくなる社会に他ならない。
逮捕しやすい社会によって、実現される正義もあるだろう。しかし、実現される不正義もあるだろう。法律は絶対に正義なのではない。少なくとも民主主義社会では、正義に対する様々な思いがぶつかりあって、妥協の末に書き上げられたものなのである。
あなた自身が逮捕しやすい社会に生きることで幸せになれるか考えて欲しい。
(11月12日書類送検された)