山高水長(さんこうすいちょう)という言葉がある。
書き下すと「山高く水長し」となる。これは故人の遺風が偉大であったことを示す言葉である。
出典は范仲淹の「厳先生祠堂記」の最後に載る歌だ。
雲山蒼蒼 江水泱泱
先生之風 山高水長
(雲にそびえる山は青くかすみ、大河の水は深く広い。
先生の遺風は、この山のように崇高で、この水のように尽きない。)
ここで言及されている「先生」は厳子陵という後漢初期の学者をいう。
厳子陵は後漢の初代皇帝光武帝と学友で、光武帝が皇帝に即位してからも友情を保った。
また、厳子陵は光武帝に対してへつらうことはなく、何度も任官を断っているが、一時期断りきれずに任官していた。
この歌の作者の范仲淹は二人の関係を評して、次のように言う。
厳先生がいなければ光武帝は偉大になれなかった。
他方、光武帝がいなければ厳先生も高潔ではいられなかった。
この評価には権力と学問の理想的な関係が見られると思う。
翻って昨今の我が国の情勢を見るに、学問も権力もどちらの側も、人間同士の交わりに欠けているように思う。
(学問の側が世情を避けるのは後漢の時代も変わらないようだが。)
何か偉大なことをなしたくても、知恵を借りない者には難しい。
聖書の伝道者の書には次のようにある。
「貧しくて賢いわらべは、老いて愚かで、もはや、いさめをいれることを知らない王にまさる。」(4:13)
もう前のことになるが、ある尊敬する方が亡くなった。その方のことを話したいが、私が匿名でブログをしているので話すことはできなかった。ただ、先日読んだ本の中に「ふむ」と思う言葉が出てきたので記す。この記事は故人に向けた記事である。