読書メモ 『公職選挙にみるローマ帝政の成立』


1 古代ローマと選挙制度

丸亀裕司の『公職選挙にみるローマ帝政の成立』を読んだ。

古代ローマにおいても公職は選挙で選ばれていた。今と形は違えど、多くの民衆も選挙に参加していた。

一般に抱く古代ローマの歴史は、元老院の活躍する共和制、皇帝が君臨する帝政というイメージだ。多くの公職で選挙が行われていたという事実は、ローマの違った一面を見せてくれる。

 

2 本書のテーマ

本書は、共和政ローマの終盤で、選挙のあり方が変容していく過程が、ローマ帝政の成立の過程の中で、重要な要素であるということを示している。従来は、ローマ帝政が成立する過程で軍の最高指揮権と民衆の支持に多くの注目が集まっていたが、この2つを結びつける意味で公職選挙が重要な意味合いを持っていたというわけである。

その過程で重要な要素になるのが公職選挙主宰者や公職任命権である。特に選挙主宰者の権限は面白い。集会で選出された候補者について、当選宣言を出す権限があるというのである。裏を返せば、選出された候補者についても、当選宣言を出さないこともできる、ということである。もちろんそのようなある種の拒否権の行使は市民の反発を引き起こすため、慎重に行使された。

 

3 あらすじと感想

以下の記述は、私の感想も交えたものであり、本書の筆者の意図とは異なるかもしれないことは、予めお詫びのうえ断っておきたい。

本書に書かれた公職選挙のあり方の変容は、権力者による選挙過程への介入が拡大していく過程といって良いだろうと思う。

 

(1)カエサル以前

カエサルが登場する以前の公職選挙のあり方は、有力者達が民衆の支持を集めていく過程である。そこでは軍事的評価や内政といった実利的な能力評価だけではなく、気前の良さや気力、家柄といったものが大きな影響を持っていた。ここでは公職選挙主宰権を誰かが独占するということは原則的になかった。

 

(2)カエサルの時代

それが歴史に颯爽と登場したカエサルの時代になると、内乱を収束させたカエサルに多くの公職選挙主宰権が認められるようになった。さらには選挙主宰者から当選宣言を受ける者を選出する権限も得るようになった。このような権限は、元老院の支持を得て認められたものであるというのが注目に値する。また、ローマの大敵だったパルティア王国との戦争を背景に認められているということにも注目すべきである。

このような改革の結果、公職選挙の結果には、民衆達に選ばれるという要素だけではなく、カエサルの評価も大きく影響するようになる。家柄や気力といった雰囲気だけではなく、カエサルの統治への軍事面・内政面での功績によって、カエサルに選出されるかどうか、当選宣言を受けられるかどうかが決まってくるからだ。ここには現代社会における選挙に期待されている民主的な要素とは相反する要素が露骨に混入することになる。

 

(3)第二次三頭政治

他方で、カエサルは独裁の半ばで暗殺される。そして、アントニウス・オクタウィアヌス・レピドゥスによる第二次三頭政治が始まる。この三人委員会による統治下では、公職選挙主宰権はさることながら、カエサルが有していた事実上の公職任命権限も獲得した。三人委員会も決して一枚岩ではなく、対立が前提になっている。そのためか、選挙の結果に大きく影響を与えたのは、候補者の軍事的資質だった。この事自体はローマの伝統的な価値観にも即していた。

この時代に注目されるのは、軍事を掌握する中でも、トップに対立関係が残っていれば、逆にまだ民衆の支持というものが重要な意味を持っているということである。そのため、選挙主宰やローマの伝統的価値観が重視する「慣例」を逸脱しないように、形式だけは整えていた。表向きは伝統を尊重しながら、実際には革新的なことをしていたのである。ある種の換骨奪胎といってよいだろう。

もちろん、このような変化に元老院や市民が気づいていないというのは、あまりに馬鹿にした見方だろう。おそらく彼らは気づいていた。しかし止められなかったのである。それはやはり軍事を掌握するという実力の為せるわざであろう。

 

(4)アウグストゥスの時代

こうして内乱を勝ち残ったオクタウィアヌス(アウグストゥス)の時代になると、状況は少し変わってくる。アウグストゥスは公職選挙主宰権を握りつつ、統治の大半で共和制の頃のような市民の前で選挙運動が行われる選挙が復活したというのである。しかし、アウグストゥスは、そのような選挙が混乱する気配を示した場合には、決定的に介入する権限を有していた。これはアウグストゥスによって、元老院を始めとする有力者たちは政治生命の最終決定権を握られていたということを意味する。

アウグストゥスは、少なくとも公職選挙に関しては非常に権限の行使に抑制的だったといっていい。しかし、それはアウグストゥスの権限が弱かったからではない。アウグストゥスは権限を行使しなくとも自らの意思を実現できるだけの権威があったからである。圧倒的な軍事力を背景にしていたことは言うまでもない。それはもう「皇帝」という称号が相応しいほどに。

そして、アウグストゥスが死んだ後、市民による選挙権は消え去ったのである。

 

(5)現代への教訓

古代ローマで起きたことと、現代社会で起きつつあることを安易に比較することは、学問では許されないだろう。(だから、素人のブログでは許されよう。)

ただ、歴史上で生じる大きな変化は本当に小さな出来事が影響するように思われる。選挙の方法自体は変わっていなくても、選挙を主宰する人の在り方、あるいは公職者の任期の変更等が、ゆくゆく決定的な国体の変化に影響を与えうるのであろう。

例えば、日本国憲法における緊急事態条項では国会議員の任期延長が盛り込まれようとしているが、これも国体、民主政を大きく揺るがすことになるだろう。有事を背景とする与党の主張もパルティア王国との緊張を利用したカエサルに重なる。

古代ローマでは、軍事力を背景にした有力者たちが、この改革を可能にした。しかし、現代日本では軍事力を背景にする必要はなかろう。国民が、自ら進んで自分たちの主権を手放そうとしているかのように――おそらくは何も考えずに、あるいは変わっていくことにも気づかずに――国体を変えてくれるだろうから。


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