読書メモ 韓非子・説林(「逆鱗」の出典)から受け取る処世術


新釈漢文大系の11巻「韓非子」説難(ぜいなん)を読んだ。説難自体は、司馬遷の史記の老子韓非列伝にもかなり長く引用されている。

 

1 説難は逆鱗の出典

説難は一般的には、逆鱗という熟語の出典として有名ではないだろうか。

あの竜という動物の性質は、飼いならせば、近よって跨ってもかまわないのだが、しかし竜の喉もと一尺ほどは鱗が逆さにうわっていて、もし人がそこに触ったなら必ず取り殺される。

(153頁)

逆鱗とは逆さに生えた鱗を指しており、目上の人が怒るポイントのことを意味している。

 

2 説難のテーマ

説難は別に竜の生態について述べた文章ではない。説難のテーマは「自分の意見を相手に受け入れてもらうという難しい作業のコツ」である。非常に現代でも使えそうな話のテーマだ。自己啓発本とかにありそう。

 

韓非子は「他人に自分の意見を話すことの難しさは、知識や度胸などの問題ではなく、聞く相手の心をうまく推測して、受け入れやすい話の仕方をすることだ」と指摘する。例えば、人から徳のある人と思われたい人に、「私の意見を採用すればお金が儲かりますよ」などと話をすれば、きっと軽蔑されて受け入れてもらえないだろう。例えば、お金儲けがしたい人に、「私の意見を採用すれば世間から称賛されますよ」などと話をすれば、世間のことがよくわかっていないと思われて、やはり受け入れてもらえないだろう。韓非子はそのような例を挙げる。

 

3 特に「貴人」への説明について

また、「貴人に意見を述べることの難しさ」についてもかなりの文量を割いている。逆鱗の故事が入るのもその流れだ。

貴人は、現代風に言い直すのが難しいが、要は自分の生殺与奪の権を握っている人間という意味で良いと思う。貴人の難しさは、言い間違えるリスクだ。韓非子の頃であれば殺されるというリスクがあって、現代とは比べ物にならないくらいのリスクになる。

韓非子は次のように言うのだ。「人を説得する際の一番の要点は、まず相手の自慢したい点を褒めてやり、恥じている点を消してやることだ。」

 

(1)貴人が自分の利益を図りたいと思っているとき

一般的な正義について語り、貴人に「利己的な欲求があるようにはみえない」という立場を取った上で、自分の意見を述べる。

例えば、本当は金のことしか考えていない社長に、「社長のお気持ちはSDGsの考え方にピッタリですよ!」とヨイショした上で、「それで私の企画ですが……」と続ける感じ?

 

(2)貴人が高尚な目的を持っているが、着手できていないとき

目的の誤りや欠点を示して、実行しないことを褒めた上で、自分の意見を述べる。これはちょっとわかりにくいが、「高尚なんだからやらなきゃ駄目でしょ」と言っているように思われると、「やれてない俺が駄目だってのか?!」と怒られるので、「あのブドウはすっぱい葡萄ですよ!」と自ら言ってやるという意味だろう。

例えば、子ども食堂に寄付をしようと思っているが、中々金の都合がつかない社長に、「子ども食堂も大事ですが、子ども食堂にいけない子ども達の問題もありますのでね。本当はもっと行政が頑張らなきゃいけないんですよ。社長はもうたんまり税金を収めていますので、それとは別に寄付までされないのは、ある意味正解だと思いますね。」と慰めた上で、「それで私の企画ですが……」と続ける感じ?

 

(3)貴人が自分の計画を自慢したいと思っているとき

別の事例を出しながら、参考材料を並べて、貴人の自慢話に華を添えてみる。

例えば、新しい店舗を郊外に出そうと計画している社長に、「いやー。駅も再開発されましたがテナント料が高くて店が中々決まらないそうじゃないですか。」と申し向けて、「いや、そうなんだよ。それでうちは郊外に新規出店することにしてね。」などといえばしめたもの。「はー。そうなんですか。それは先見の明がありますね。今、あのあたりも再開発すると噂ですし。」などと言いつつ、「きっとお役に立てる私の企画ですが……」と続ける感じ?

 

(4)貴人に何かをさせたいとき

まずは道義的にも素晴らしいことだと言い立てて、貴人の利益にもなることをほのめかす。「ほのめかす」というのがポイント。

例えば、「昨今の地球温暖化がどうのこうので、温室効果がああだのこうだの。これはSDGsでうんぬんかんぬん。実際、これだけのコストも削減できます。」と話を持っていくようなものか。

 

(5)貴人に何かをさせたくないとき

道義的に非難されると言い立てて、貴人の利益にもならないことをほのめかす。ここでも「ほのめかす」がポイント。

例えば、「この投資では従業員の生活も守れませんし、理解も得られません。実際、初期投資を回収するのに10年はかかりますよ。」などと話を持っていく感じだろうか。

 

(6)貴人を褒めたり諌めたりするとき

貴人を直接褒めたり諌めたりするのは危険なので、同じようなことをした他の人を引き合いに出す必要がある。他の人を引き合いに出すのがポイント。貴人に「自分のことを言っているとは断定できないが、参考になる。」と思わせるため。

例えば、「社長、ご存知ですか。〇〇さんあんなことをしたんですって……。」と。

 

(7)貴人が道義上まずいことをしたり、失敗したとき

同じやらかし、失敗をした人の例を挙げつつ、そのやらかし、失敗がそれほどのものではないことを説明する。「自分も大丈夫だ。」とまずは安心させる必要があるのだろう。

例えば、「そういえば〇〇さん、この前やらかしたそうですが、元気にゴルフに来てましたよ。」などと。

 

(8)まとめ

こうして、まず貴人に、自分が「意見を聞くに足る人間」だということをアピールした上で、自分の話をすることが大事だということだ。その信用は、身も蓋もない言い方をすると、相手をヨイショしたり、元気づけたり、慰めたりと、相手の心情に訴えかけなければならない。そういう話だった。

 

4 全体的な感想

面白いと思ったのは、韓非子は論理や理屈を軽視していないということだ。しかし、論理や理屈を受け入れさせるために、まず相手の心を整えておくことを重視しているのである。中々バランスのとれた実務感覚だと思う。

とはいえこの韓非子、死に方は中々悲惨である。秦王(後の始皇帝)に使者として派遣された際に、秦王が韓非子を高く評価した。当時、秦王の下で有能な家臣だった李斯がいた。李斯と韓非子は同じ師匠である荀子の下で学んだ同窓だった。李斯は韓非子が秦王に重用され、妬み、あるいは自分の地位を脅かすものと考えた。そこで、李斯は韓非子に自殺を促し、韓非子は自殺を受け入れてしまった。このように司馬遷の史記にある。

司馬遷の評は「私は、ただただ、韓非子が説難を記したにもかかわらず、自分に降りかかる災いを逃れられなかったことを悲しむ。」(原文:「余、獨だ、韓子の説難を爲り而も自ら禍を脱がるること能ざりしを悲しむ耳」)全く同感である。

 


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