木村俊道著『想像と歴史のポリティクス――人文主義とブリテン帝国』2020,風行社を入手した。さらっと読んだが面白そうだったので、読書メモを所感とともに記す。ページ数は全て本書のものである。
第1章に引き続き第2章へ
第2章 ブリテン帝国の劇場――「ユートピア」から「ビヒモス」へ
本章の目的
本章の目的は「『複合国家』の観点から『初期近代ブリテン』政治思想史を叙述することの意義と可能性」を探ることを通じて、「『近代イギリス』政治思想史という物語」を新たに語るための準備作業をすることである(p.64)。複合国家論とは「初期近代ヨーロッパの諸国家の実際の姿が、単一の主権国家や国民国家ではなく、複数の政治的単位から構成される「多元的」multipleで「複合的」compositeな、あるいは「礫岩のような」conglomerate国家であった」とする論である(p.63)。
ルネサンス期における人文主義から2つの思想が取り上げられる。1つは古代ローマ論を下敷きに共和国が拡大していくという帝国観であり、マキァヴェッリの『ディスコルシ』や『君主論』に見られる思想である。そしてもう1つは、拡大や複合国家に批判的な思想であり、トマス・モアの『ユートピア』に見られる。初期近代ブリテンにおいては、フランシス・ベイコンが前者の帝国観に基づき「議会演説などを通じて実際に、イングランドとスコットランドを統合し、アイルランドを植民とする、『偉大』な『ブリテン帝国』の構想を提示」(p.71)した。
拡大
イングランドやスコットランドにおいて「帝国」とは「至高の権力」という意味と、複数の政治的な単位を包含する領域」という意味を含む概念として利用されていた(pp.72-73)。このことがさらに、英国における宗教改革の影響を受け、プロテスタントにより統合されたイングランドとスコットランドによる「グレート・ブリテン」という帝国イメージにつながっていく。もっとも(それ自体当時から批判はあったものの)「ブルータス伝説」に依拠した「イングランドの優越」(p.74)が説かれていたという留保が必要である。エリザベス1世の治世中にイングランドの拡大的な帝国観はさらに強まる一方、スコットランドではイングランドの拡大を警戒して「帝国」という言葉が使われなくなるのは、こうした背景がある。
対等
この状況は、スコットランド王ジェイムズがイングランド及びアイルランドの王位を継承したことによって一転する。ジェイムズのもと、スコットランドとイングランドがグレート・ブリテンへと対等な統合を目指す動きが活発化する。他方で、この対等さを嫌ったイングランドが抵抗するための思想も展開される。先のベイコンの主張もこの流れの1つである。
征服と文明化
他方でスコットランドとイングランドの関係とは異なり、「言語と習俗、そして宗教を異にする」アイルランドへの拡大は別の流れを生み出す。つまり、スコットランドの統合で展開された思想とは、異なる思想が展開される契機があったのである。ベイコンの主張を借りれば、「オルフェウスの神話から、『野蛮な習俗の人々』が『復習や流血、放縦な生活、窃盗と略奪の習慣』を捨てて、『法と統治の知恵に耳を傾ける』ことの寓意を導き出し」(p.88)、野蛮なアイルランドを「『帝冠』のもとで文明化」(p.88)するという思想が見られる。
要約と所感のまとめ
以上が本章の概要であるが、ややもするとピラミッド型の一元的な組織・集団を思い浮かべる「帝国」という言葉は、実は内部で対等や征服、文明化、偉大さといった様々な軋轢を表す思想によって彩られている多元的なイメージであることが明らかになったように思う。グレート・ブリテンという言葉のとらえどころのなさは、1つの要素を捉えると、別の要素が主張を始め、あるいは捉えた要素がするりと抜けていく、そんなウサギ小屋の中で二兎を追う態度から生じるものなのだろう。結局はウサギ小屋という包括的な概念であることに留意する以外に二兎を追う不毛感から逃れるすべはないと教えてくれるような気がする。