読書メモ 『世界と比べてわかる日本の貧困のリアル』


石井光太の『世界と比べてわかる日本の貧困のリアル』を読んだ。

(筆者名は筆者のTwitterアカウントに飛びます。)

本書は、住居、教育、労働といった8つの視点で、海外の貧困と比較ながら、日本の貧困の実相を明らかにしようとしている。日本人が抱いている貧困のイメージが海外のスラム等のイメージである一方で、実際に多くの日本人が直面している貧困が海外の貧困と異なる実相を持つからである。つまり、海外の貧困のイメージで日本の貧困を捉えてしまうことによって、日本の貧困ひいてはそれがもたらす社会問題への対処法の検討を誤らないようにすること、ここに主眼が置かれている。

 

こうした目的は、実際に海外での取材経験がある筆者によって、本書がかなりの程度果たせているように思われる。

まず、海外のスラムにおける体験談、経験談が随所に散りばめられているのが良い。若くして結婚を余儀なくされる子。受けたい教育ではなく必要な教育に甘んじなければならない子。スラムのコミュニティの大事さとその反面でスラムのコミュニティしか寄る辺がない綱渡りの生活。栄養不良により亡くなり、結果的に活気のある人々だけが生き残っている状況。チャンスがあちこちに転がっている反面で、安全が確保されていない社会。

単純に「収入が少ない」という貧困の捉え方だけでは描ききれないものだ。考えてみれば当然ながら、収入が少ないことが直ちに問題なのではない。より大事な視点は、収入が少ないことによって、何が出来ないのか、何を余儀なくされているのかということだ。というのは、不幸や悲しみはそういった状態から生じるものだからである。

ここから得られる知見は、確かに海外における貧困は日本の貧困問題と大きく異なるという点だ。もちろん日本においても同様の状況が全くないではないが、ほとんどの貧困者は、貧困者であっても権利や自由はある程度保障され、公的な支援も用意されており、多くの貧困者が餓死は免れているという状況は否定できないだろう。

 

その意味で、日本における貧困の実相は、「相対的貧困」が大きな側面を占めていることに着目する必要性は十分にあるだろう。

ただ、これ自体は真新しい指摘というわけではない。相対的貧困自体は2000年代からよく聞かれる視点であり、筆者は定義も記載しているが、一般的にはある社会における通常の生活が営めない低収入状態を相対的貧困と理解して差し支えないだろう。この相対的貧困の概念によって、日本における貧困と、海外おける貧困は、異なる実相を持つものとして捉えることができる。「貧困で明日食べるものがない状況におかれている海外の子よりも、一日一食の給食だけは確保されている日本の子は恵まれている。」などというなんの腹の足しにもならない慰めを切って捨てることができる便利な概念である。

本書はある意味、このような現代では一般化した貧困概念に基づいて日本の貧困の様相を描くのだが、富裕層と低所得層が同じ公立学校に通っていることによる心理的な問題とか、低収入層は未婚率が高いとか、その内容もやはり真新しいものではない。

 

もっとも、8つの視点に基づいて簡潔に日本と海外の貧困の実相を比較することができるのは、議論の出発点として有意義なことには違いない。例えば中高生あたりが貧困という社会問題を自学自習する最初の本としては適当なのではなかろうか。

今回の著作は、新書としては十分満足のいく記述である。筆者は海外や日本で貧困の取材等を多数行っており、他の著作も面白い。本書における筆者の目的ではなかっただけで、貧困が生じている原因、特に日本ではどうしてこうも可処分所得が少ないのかという分析も他の著作ではある程度行われている。ぜひより深い議論が必要であれば、他の著作も手に取るべきだろう。


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