読書メモ『蝶と帝国』 ※ネタバレ注意 考察あり


南木義隆の『蝶と帝国』を読みました。

 

南木義隆といえば、ナムボク名義で百合文芸小説コンテストに投稿した『月と怪物』が大きな話題となったことで有名な作家です。

百合小説というと女性同士の恋愛を描いた作品ですが、注目の理由はなんといっても、作品背景がソ連を舞台にしているという点でしょう。

ソ連百合という単語は、読者に「新鮮」というよりも、「前衛」という言葉を想起させる力があります。

 

今回の『蝶と帝国』もソ連が絡んでいます。ただ、舞台はソ連成立前の帝政ロシア。

以下ネタバレもありますので、注意してください。

 

共産主義と宗教、そして同性愛

この作品の素晴らしい点は、「共産主義」と宗教の対立構図の中に、女性の同性愛という要素を織り交ぜることによって、極上の悲劇に仕立てられているという点です。

共産主義が思想として宗教と対立するのかどうかについては議論が必要です。しかし、少なくとも共産主義を標榜するボリシェヴィキ(後のソ連共産党)がロシア正教会という宗教集団に大弾圧を加えたことは事実です。

この対立の原因には、帝政ロシア時代からの政治的対立も影響はしています。しかし、根本的には、無神論を掲げる共産主義と宗教の相性が非常に悪い点が原因でしょう。

ここまでは有名な話です。

そして、弾圧を加えた共産主義はダメだね、宗教の側は可愛そうだね、信教の自由は大事だね、という話になるのが普通の見方です。

 

この作品のひと味違うところは、ここに百合が混ざるところです。

 

神にも、革命にも救われない主人公

共産主義と宗教の関係以上に相性が悪いのは、ユダヤ・キリスト教と同性愛の関係です。

ロシア正教会において、同性愛は禁忌です。ところが、本作品の主人公キーラは同性愛者です。つまりキーラは宗教的な禁忌を犯していることになります。

プロローグでこのことが非常に甘美に表現されます。キーラと関係を持っている準主人公級のエレナ(彼女はロシア貴族です。)が、ダンテの神曲を引いて、私達は地獄に落ちると宣言したシーンです。

彼らは絶対に社会的に結ばれることはないのです。そのことは、エレナが何度も男性との「結婚」のことを話題にし、そして実際に結婚してしまうことにも表れています。

この作品では、宗教が同性愛者キーラを救済することはありません。

 

そして話が流れ流れて共産主義革命が起きます。

共産主義革命は、宗教を否定しました。つまり、同性愛者であるキーラを否定した宗教を否定したわけです。

ここにキーラは希望を見出します。

物語の展開では、キーラは資本家になっていたわけですが、革命により全てを失うことになります。この展開にキーラは歓喜します。なぜか? 引用しましょう。

自分がなにもかもを失ったのなら、エレナもまたそうではないか? という期待のようなものが彼女の心に頭をもたげていた。お互いが何者でもなくなったのならば、今度こそ……とキーラは思った。(249頁)

こんな純愛ありますか? 何もかもを失ったときに、失ったことを絶望するでもなく「自由だ! 今から何も気にせず愛し合えるぞ!」と希望を持つこと。

ところが、エレナは貴族として虐殺の対象となっていたのです。

急転直下です。共産主義もキーラを救うことはありませんでした。

神も王も革命も、すべてが私の存在を否定している。私がおまえたちを否定する理由に足る。十分だ。(253頁)

 

その後、キーラは、神でも王でも革命でもない本当の敵、自分の恋を邪魔した本当の原因を理解し、それゆえにおそらくある種の救いを得たように思います。どうぞ書籍を購入されてください。

また、キーラの初恋や、他の女性との関係性も描かれており、一つ一つが寓話性に富んでいます。

ユダヤ教、ポグロム、そしてアメリカという国家の立ち位置、紹介しきれなかったたくさんの要素があります。

今年の3月末ころからは漫画化もされるようですね。

 

まとめ

大きな二項対立があるときに、私たちは、どうしても全てのものをその2つの陣営のどちらかに当てはめて考えてしまいます。そうでなければ、2つの陣営のどちらにも当てはまらないものを見ないようにする傾向があると思います。

しかし、そこで無理やりはめ込まれてしまったものの中に、本当は自由であるべきだった何か大切なものが含まれていることが往々にしてあります。

そして、打ち捨てられてしまったものの中には、本当は掬い上げないといけなかった何か重要な悲劇があるのでしょう。

そういった感想を抱いた本書でした。


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