水上勉の『禅とは何かーーそれは達磨から始まった』を読んだ。
達磨から始まって、禅を伝えていった人々の歴史が、ほぼ紀伝体で書かれている。
有名どころだと、臨済、道元、一休、白隠など。
それぞれの禅宗坊主の生き方のユニークさに簡単に触れることができた。
最初の方はとても読みやすかったのだが、江戸時代くらいになってから、急に物語のトーンが落ちたというか、私はつまらなくなってしまった。最初が面白すぎたのかもしれない。
臨済と普化
臨済録に書かれた臨済と普化のやり取りも面白かった。
臨済録を読んでないのでわからないが、おそらく水上勉の紹介の仕方も、一級なのだろうと思う。
面白すぎて、家族にも紹介して、それ以来、誰かが何か面白くないことを言うと、
「つまらんことを言うな。このど盗っ人め」
と罵倒し、罵倒された方は、
「ああ、盗っ人、盗っ人」
と返す流れが定着している。
また、コメントできない質問などが飛ぶと、
「明日はマックでチキンナゲットがもらえるよ。」
などと返すことになっている。
(三太郎の日だったのである。)
おそらく1週間もせずに飽きるが、今のところ面白い。
公案について
白隠禅師の公案「富士山を印籠から出し入れできるか」という公案を見つけた。
印籠の内と外の区別さえ入れ替えてしまえば、たいした話ではないように思う。
牢屋に閉じ込められているのか、牢屋の外に閉じ込められているのか、の違いだ。
(なんかこういう話があったような気もする。)
何故この本を読んだか
哲学航海日誌という私が一番好きな本の1冊を書いた野矢茂樹先生が禅をしているとの話を、NHKの爆笑問題の日本の学問だかなんだかで昔見たことがあって、いずれ禅についても読んでみようと思ったのだ。
そして、家の法事で知ったが、うちも禅宗だったので、何となく覚えていたのだ。