黙秘権の意味及び法的根拠


黙秘権が話題ですね

浅見浅聞の誹りを免れないであろう某新聞のコラムをめぐり、黙秘権が話題になっている。が、その法的根拠は一般にはあまり知られていない。一応、中学や高校の社会科で習ったことを覚えている人なら、日本国憲法に規定された権利であることを知っているかもしれない。が、ことはそう簡単ではないので、一応、本稿で整理しておく。

 

黙秘権の意味

そもそも黙秘とは、警察官・検察官・裁判官等からの質問に答えないということである。黙秘権はそのような連中からの質問に答えないという権利である。

 

黙秘権の法的根拠

根拠はまず日本国憲法にある。38条1項が次のように規定する。

何人も、自己に不利益な供述を強要されない。

憲法が直接規定しているのは「自分に不利益な供述」についてだ。この供述を、自分が罪を負うことにつながる供述ということで、自己負罪供述ということがある。そして、自己負罪供述をすることを拒否できる特別な権利として、自己負罪供述拒否特権と呼ぶことがある。

 

一般に知られている黙秘権は、刑事訴訟法の定めのほうが分かりやすい。311条1項を見よう。

被告人は、終始沈黙し、又は個々の質問に対し、供述を拒むことができる。

文言上、自己負罪供述に限定されていないことに注意しよう。こちらを黙秘権とか供述拒否権と呼んでいる。

もう1つ注意しないといけないのは、「被告人は」と規定されていることだ。被告人とは、刑事訴訟でにかけられている人、つまり起訴されている人のことをいう。

 

では、起訴されていないが、警察官等に取調べをされている人は、黙秘権が認められていないのだろうか。

いやそんなことはない。刑事訴訟法198条2項を見ておこう。

前項の取調に際しては、被疑者に対し、あらかじめ、自己の意思に反して供述をする必要がない旨を告げなければならない。

被疑者とは、罪を犯したと疑われている人であって、まだ起訴されていない人のことを言う。つまり、起訴までの捜査段階では被疑者、起訴後の公判段階では被告人である。マスコミがよく称する容疑者は被疑者のこと、被告は被告人のことである。マスコミは法律用語を誤用しているが、何も恥ずかしくないようである。恥ずかしい奴らだ。

ちなみに、被疑者についても拒否できる供述は自己負罪供述に限定されていないことに注意しよう。

 

ここまでをまとめると、憲法38条1項は、文言上、国民に自分にとって不利益な供述を強要されない権利を保障している一方、刑事訴訟法は被疑者被告人の権利として、あらゆる供述を強要されない権利を認めていることになる。

 

憲法の自己負罪供述拒否特権の意味

そうすると、憲法よりも刑事訴訟法の方が、拒否できる供述の範囲が広くなるということなのだろうか。これは、憲法が保障している自己負罪供述拒否特権を用いれば、自分に不利益でない供述を拒否できるのかどうかという問題である。この問題は、かなり重要な問題だ。

憲法は法律よりも優先される法規範であり、その改正も容易ではない。そして、憲法に違反した法律を制定することは、違憲立法として無効となりうる。

仮に、憲法が不利益供述ではない供述を拒否することまでは認めていないならば、刑事訴訟法が黙秘権の対象を不利益供述にのみ限定しても合憲となる。もし、憲法が、あらゆる供述を拒否できる権利を38条1項で保障しているとすれば、そのような権利を否定する法律は違憲となる。この差は大きいのである。

この問題について、一般には、憲法に基づく自己負罪供述拒否特権を用いれば、自分に不利益ではない供述でも拒否することができると考えられているようである。

その理由は具体的な取調べの様子を想像すればわかる。

警察官「そろそろ話しなさいよ。」

被疑者「いや。憲法に基づく自己負罪供述拒否特権を行使するぜ。」

警察官「憲法の自己負罪供述拒否特権では、お前は不利益供述しか拒否できないんだよ。」

被疑者「だから何だっていうんだよ。関係ないだろ。」

警察官「関係大有りなんだよ。つまり、不利益かどうかも今お前は話してくれないから、お前が供述を拒否できるかどうかは、こちらとしては今わからない。

どうしても供述を拒否するというのであれば、お前が黙秘しようとしている供述が、お前にとって不利益であるということを説明してもらわなければならないのだよ。」

被疑者「自分の供述が自分にとって不利益であることを説明したら、それは自分にとって不利益な供述を話しているのとほとんど同じじゃねえか。」

このように、自分に不利益供述しか拒否できないとすると、利益なのか不利益なのかによって、権利を使えるかどうかが変わってくる。当然、権利を使う側は、自分の供述が不利益であることを合理的に説明した上で、供述を拒否することになる。しかし、「なぜ不利益なのか」を説明させることは、不利益供述をさせているのとほとんど変わらないだろう。

警察官「試しに、お前の供述がお前にとって不利益な理由を説明してみろ。」

被疑者「そりゃ、私が〇〇さんを殺したって供述すれば、私は殺人罪に問われて不利益じゃねえか。」

警察官「……すると、お前はやっぱり〇〇を殺したんだな。」

被疑者「せっかく憲法が自己負罪供述拒否特権を保障しているのに、意味ないじゃん。」

つまり、黙秘権の対象を不利益供述に限定すると、結局、不利益供述すら拒否できない結果を引き起こしかねない。そこで、自己に不利益な供述を拒否する権利(自己負罪供述拒否特権)を保障するためには、必然的に、有利不利を問わず全ての供述を拒否できる権利(黙秘権)を保障しなければならないのである。

と、ここで必然的と書いたが、実際には、自己負罪供述拒否特権に影響を与えないような供述には黙秘権が及ばないという解釈もありうる。最高裁判所は、事例判断ではあるが、被疑者の氏名には自己負罪供述拒否特権が及ばないという判断をしたことがある(最判昭和32年2月20日)。ただ、有利不利は供述時点の事情のみで判断できるものではなく、将来において不利益になりうるかどうかも検討の必要がある。そうすると、事実上、自己負罪供述拒否特権を保障するための黙秘権の保障はありとあらゆるものに及ぶと解釈せざるをえないのだろうと思うし、多くの学者もそう思っているように思う。

結局、自己負罪供述拒否特権とは黙秘権のことだと理解しても良いのではないか。あるいは、自己負罪供述拒否特権とは別に黙秘権を観念して、黙秘権を自己負罪供述拒否特権の実効性を担保するための憲法上の権利と理解してもよいだろう。おそらく後者のほうが筋は通っている。ただ、直接憲法に書かれている権利なのか、憲法が間接的に規定している権利なのかでは、保障のされやすさで、やはり微妙な違いも生じそうである。

次なる疑問

このような分析は割とどうでもいいのが、「健全な市民感覚」だろう。上の事例でも、黙秘権を行使できるかどうかはさほど重要な問題ではない。殺人の真犯人である被疑者が、自らの犯罪について黙秘を決め込むことがどうして認められるのだろうか。一体、黙秘権は何のためにあるのかという問題のほうが重大な関心事と思われる。「悪いことをした人は正直に話すべきだ。」というのが素朴かつ健全な感覚だろう。

こういった問題に対して、「健全な市民感覚に沿わない黙秘権はいらん」という結論が出されることもある。「なぜ必要か」という問題を根底から覆す結論だ。やはり「なぜ必要か」を考えてみなければ、安易な結論との批判は免れないだろう。

このような素朴かつ健全な感覚に対しては、疑問を投げかけざるを得ないのである。「はたしてそれで良いのか。」と。かくして、黙秘権を巡る疑問は、「一見すると健全な市民感覚に反する黙秘権を、なぜ認めなければならないのか」という疑問に展開できる。

が、それはまた別稿で。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です