感想 映画「ヒトラーのための虐殺会議」


6月1日からAmazonプライムビデオで観ることができると知ったので、早速観た。

マッティ・ゲショネック監督「ヒトラーのための虐殺会議」だ。日本での公開は2023年1月。

 

舞台は、1942年1月20日、ヴァンゼー会議。

ユダヤ人問題の最終解決、すなわちナチスドイツが「効率的に」「国を挙げて」ユダヤ人を絶滅させるための政府・与党の高位者15名による調整会議。

ヴァンゼー会議の議事録に基づき、これを再現した映画だ。

 

会議のシーンが始まると、不謹慎ながら「あ、これ怖いシン・ゴジラだ」と思った。

シン・ゴジラでは、官僚や政治家が国家の敵であるゴジラと戦う。印象的なのは会議のシーンだ。ゴジラをいかに合法的に、また、安全に撃破するかを、法制度・感情を混ぜ合いながら描くところに、妙なリアリティや妙なかっこよさがあった。

この映画は、実話を基にしていてリアリティはシン・ゴジラ以上。しかし妙なかっこよさはない。本当にない。ただただ、淡々とみんな早口のドイツ語でいかに「合法的に」また「効率よく」ユダヤ人を殺していくかを、法制度や感情を混ぜ合いながら描いている。

 

時折、こいつは本当はユダヤ人を殺したくないんじゃないかというような発言も出てくる。

例えばユダヤ人と混血しているドイツ人の扱いをどうするのかという議題があがる。法律上、混血児の一部もドイツ人だし、ドイツ人の親戚がいたり、ドイツ軍の中にもいるから、虐殺対象にすると「違法又は不当」という趣旨の意見が内務省から出る。さらにこの人物から「何もしないことが一番いい」という意見まで出る。聞き様によっては「なるべく輸送対象(=虐殺対象)を減らそうとしているか、計画自体を頓挫させようとしているのでは?」とも思える。言い換えると内務省の権限や法律を縦にして、親衛隊が進めようとしている虐殺の規模をなんとか減らそうとしているようにも見える。

でも全然そんなことはないのである。内務省は、自分たちが作った法律に反することで、自分たちの権限が侵されること、あるいは自分たちのプライドが傷つけられることを避けようと執心しているのである。その様子も描かれる。

また、どうやってユダヤ人を殺すのかという疑問も呈される。これは首相府の人間だったが、「昼夜殺し続けても400日以上かかるから現実的ではない」とか「自分がガス殺は第一次世界大戦のことを思い出す」などと述べる。これも聞き様によっては「ユダヤ人を殺すことは現実的でもないし、残酷だからやめよう」と聞こえていた。

しかし、結局、殺す側のドイツ人の精神的負担を考慮しての発言なのである。そして、今度アウシュビッツで行なう虐殺方法が、いかに効率的かつ殺す側の負担を軽減しているかを説明されて、虐殺自体には賛成してしまう。

 

殺される側の都合は一切考慮せずに、ほぼ淡々と、時にジョークも交えながら会議は進み、映画の最後に600万人のユダヤ人が殺されたことが短文で示される。

殺される側への想像力や共感を欠いているという問題に集約し得ない、はっきりとした邪悪さが描かれているように思われる。これは全く巷で解されているような「凡庸な悪」ではない。普通に邪悪なのである。

そして、邪悪な意図が表に見えにくく、邪悪な者の発言は時として「人道的」にも「合理的」にも「正しく」も見えるということも改めて感じた。

 

ナチス・ドイツを描いた作品としては「関心領域」も気になるところである。合わせて観てみたい。

参考

映画『ヒトラーのための虐殺会議』オフィシャルサイト

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