清水俊史の『ブッダという男――初期仏典を読みとく』を読んだ。
仏教学の大家を告発する衝撃のあとがきで有名になってしまった本だが、それとは別に内容も面白かった。
この本は、2500年前に生きていた男の実像、歴史のブッダに迫るというものだ。もっとも、ここでいう「歴史のブッダ」には注意が必要である。
筆者によれば、これまで示されてきた「歴史のブッダ」は、膨大な経典等から「瞬間移動できた」などといった神話的な要素を取り除き、その歴史的存在としてのブッダを明らかにするというものだったはずだが、実をいうと読み手(語り手)がブッダに期待している性質を前提に経典等を解釈しており、実際のブッダと乖離した像を示しているというのである。
その具体例として、例えばブッダは平和主義者であったとか、輪廻を否定したとか、階級を否定した平等主義者だったという見方を挙げる。
このような見方に対し、筆者は、ブッダは戦争を積極的に止めていないこともあるし、輪廻を前提にした教えを説いているし、誰でも智恵は得られるよとはいいつつ「因果応報の原則を乗り越えてまで差別や貧富の差を解消しようとした形跡は確認されない」(本書93ページ)ということを初期仏典から明らかにする。
その上で、現実ではなく「神話のブッダ」が歴史を動かしてきたということを認めつつ、さらに進んでバラモン教やジャイナ教、その他の仏教以外の教えとひの比較を行い、「歴史のブッダ」の先駆性を明らかにするのである。
その先駆性は「無我」と「縁起」の教えであるが、この説明もわかりやすいので、気になる人は是非読んでほしい。
当時の一人の哲学者であり宗教家としてのブッダの姿が見えるようだった。彼も当時の歴史的文脈の中に位置づけられる歴史的存在なのである。そしてそのことは、ブッダの教えや「神話のブッダ」が持つ価値や影響力を否定するものではない。
参考
場外乱闘の一端を覗くにはこちら。大蔵出版『上座部仏教における聖典論の研究』に関する声明