将棋面貴巳の『反逆罪――近代国家成立の裏面史』を読んだ。
政権に批判的な言説をすると「〇〇は共産主義者」などと、さほど意味のない批判が飛び交うのが最近のTwitter(現X)をはじめとするSNSである。
「共産主義者」は「非国民」や「国賊」といった置き換えも可能である。
私はあまり目にしていないが「〇〇は国家反逆罪」という批判もあるらしい。
この「反逆罪」への言及を端緒に、反逆罪という概念を、主に政治思想史の文脈の中で分析したのが、本書である。
本書での詳細な分析をざっくりと整理すると、反逆罪は次の2つの類型がある。
忠誠で結びつけられる人間関係を前提に裏切り行為をする「反逆」と、ある集団において設定された神聖不可侵な概念を蹂躙する「反逆」である。
前者はゲルマン型、後者はローマ型と整理される。
近代国家が成立する過程で、反逆罪の典型的なイメージはゲルマン型からローマ型に移行し、かつ適用範囲も拡張されていく。
具体的な人間関係から、抽象的な神聖不可侵なモノへの反逆が対象になるわけだから、拡張は当然である。
より問題なのは、概念を拡張できるということは、都合よく反逆罪を適用することも可能になるという点である。
権力を握った者は反逆罪という恣意的な刑罰の威力を、「革命」を通じた近代国家成立のエネルギーとして用いた歴史が描かれる。
現代においては近代法の整備のお陰で、反逆罪で有罪になるとか、有罪になったとて残虐な処刑法で殺されるということは想定しずらい。
もっとも将棋面氏は他人の言動を「反逆罪」と評するそのレトリックの力は軽視できないと指摘する。
その言説には反逆罪の威嚇によって守ろうとする神聖不可侵性の認識があるからだというわけである。
私は読了していないが、他の著作を眺める限り将棋面氏の興味関心は「愛国」というキーワードにも向けられている。
愛国の正体を探るにあたって、いわゆる「愛国者」が何を愛しているのかを推し量るのに、何に神聖さを感じているのかは重要な着目点になるだろう。
以上のように、本書は政治思想史の文脈で反逆罪を整理しつつ、近代国家の成立に果たした反逆罪の役割を著述した作品となる。
さらにいえば、この分析は現代社会において「何が神聖だと思われているのか」という問題提起が極めて重要になることも指摘していると読んだ。
私個人の興味関心としては、この問題提起の重要性の指摘こそ、本書で最も共感したところになる。
(その他の記述は共感というよりも、ただただ勉強になっただけだ。)
本書のまとめ部分では天皇・皇室そして国家の神聖不可侵性の認識が現代においても幅を利かせていることが指摘されているとうかがえる箇所がある。
つまるところ象徴天皇制になった日本国憲法下の社会においても、天皇制にそれなりの神聖不可侵性があるのではないかという点である。
このように読解することが許されるのであれば、次のような現象を想起(想像)することも許されるであろう。
それは今上陛下と現政権とのことである。
今上陛下は、上皇陛下に引き続き、平和を祈念するのみならず、我が国の戦争の歴史を反省するという態度を一貫して取られてきた。
他方で、そのような態度を捉えて、「反政権的」「愛国的でない」と評価する向きがある。
誠に畏れ多いことではあるが、陛下を指して「左翼」などと評する言動もある。
さらには国民感情を無視して皇室に養子を迎える案を前提とした皇室典範の改正もこの経過に含めてとらえるべき事態だろう。
私は日本における「保守」「右翼」の政治思想的な中核にあるのは、天皇制の体現者である「天皇」に対する忠心(忠誠)だと思っていたが、どうもそうではないようだ。
まさに私はゲルマン型の人間関係を思い描いていたように思われる。
確かに神聖不可侵性は天皇個人との精神的紐帯を前提としない概念も含有できる。
したがって、「天皇が反逆した」という表現も可能になるのである。
(案外、高市早苗は今上陛下を廃位させるくらいはやってのけるかもしれない。
それはまさに日本においては西洋における近代革命と同じような精神的衝撃を引き起こすだろう。)
問題は「何に?」である。
私の疑問はこのように表現できる。
「保守・右翼の勢力が天皇の望みを害してまで守りたいものは何か?」
この問はおそらく将棋面氏の他の著作、特に愛国に関する著作を読まなければならないだろう。
この記事を書いた時点ではご勘弁いただくとして、私の思いつきを開陳しておきたいと思う。
守りたいもの、それは「プライド」である。
これ自体、さらに分析を要する概念ではある。
ただ、ざっくりいえば「自分は悪くない」「自分は被害者だ」「自分のほうが正しい」「自分のほうが優れている」という意識である。
例えば、国旗損壊罪は、自分の国旗が損壊されているわけでもないくせに、それを処罰するという意味不明な法律である。
しかし、国民に「国旗を損壊されている被害者」という意識を植え付けるには良い概念装置だと思う。
このように私たちの社会はかなり歪んだ「プライド」に支配されている、支配されつつあるのかもしれない。
このプライドという面で一つの法的な事実を挙げておく。
私も一応弁護士なので。
将棋面氏は明治15年刑法の内乱罪の規定を引いて、日本の刑法史における国家に対する反逆罪について記載する。
私が注目したいのは、明治15年刑法における内乱罪は首謀者の法定刑が「死刑」のみなのだが、その後の全面改正された現行刑法では「死刑又は無期禁錮(今は拘禁)」なのである。
なぜ「禁錮」が設けられていたのかという疑問について、一種の政治思想犯だからという回答が行われることもある。
要は「古今無双の英雄」である「敵の大将のプライド」を尊重するという考慮が働いた結果と言えないだろうか。
そして、外患誘致罪の比較も重要だろう。
外患誘致罪は今でも死刑しかないのである。
己の力ではなく他国の力を借りて攻め入る裏切り者には守るべきプライドを認めることができないのである。
こうした観点からすると、我々の政治精神の情緒性はもっと分析されるべきだろうと思う。
まずは将棋面氏の他の著作を読むことを目標としたい。
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